2016年3月5日土曜日

小林秀雄さん

眠い。眠いですねえ。春です。さんざん冬に寒い思いをさせられて、まあ今年は暖冬でしたが、にしても冬は冬であり、北海道ではいまだに寒いわけです。

ところがこちらはもう暖かい。細胞が喜んで「良かったー」と言ってるのが聞こえてきます。同時に腑抜けのように締まりがなくなっていく感じ。ふにゃあふにゃあと眠い眠い、眠いのであります。

無理矢理にテレビをつける。どれもつまらなく0.1秒ともたず次々にチャンネルをかえた後に電源を落とす。それではとスマホに手をかけてSNSから掲示板のニュースをチェックしたりゴロゴロ見ていたが、あまり面白そうなものはなかった。

最近you tube でラジオをよく聞いている。伊集院光の深夜の馬鹿力はぜんぜん聞いていなかったし知らなかった番組であったが、クサヤとか納豆みたいに1度ハマルと抜けられなくなってしまった。毎週月曜日なので動画が更新されるとアイコンに印がつく。

まあいつものように聞いて笑っていたが、ふと画面の下に並べられた関連動画に目がいった。僕はこの関連動画というシステムは凄いと思うのだ。どういうアルゴリズムで(簡単に言えば計算で)今見ているもしくは聞いている動画と関連させて表示しているかはよくわからないが、自分でも気がつかない発見がそこにあるのだ。

それは新聞や雑誌を読んでいる時にもある、自分から求めているものよりもふと目に入った記事に感動したりしてしまうあの現象に近い。

下にあったのは爆笑問題のラジオ。しかもタイトルには「太田の生死にまつわる話しが深い」みたいに書かれていた。

何度も言っていますが僕は哲学が好きなんです。この「生死にまつわる話し」ってのはまんま哲学の話しに違いないのです。たとえそれが「精子にまつわる話し」であってもなお、哲学の話しに違いないのですw

勿論聞きました。それは爆笑のラジオなのだが丁度ロビンウィリアムズが自殺した直後の放送だったようで太田が「ガープの世界」とかロビンの代表作の話しをしながらだんだんと「死」について語りだすシーンの抜粋動画だった。

聞いていると小林秀雄という人が言っていたこととして話しをしている。むむっとアンテナがたつ。僕も少し前に貪りながらyou tube でよく聞いていたからだ。

昭和を代表する思想家、哲学者ですね。
非常に博学であらゆる分野に独自の視点から鋭く本質を探る怖い人です。話し方や声のトーンに特徴があり聞いていると常にこちらが怒られている気分になるw

けどすげー好きですねこの人。約2時間近くの講演の動画がありました。長いからか動画はその1とその2にわかれています。聞き始めで前にも聞いたものだったことを思い出したが、もう一度しっかり聞こうと思った。

かなり昔の人なのに言っている内容が現代社会の危うさをあっさりと言いあてていて気分がいい。聞いていて気持ちがいいのである。例えばイデオロギーやインテリや科学といったものに対する強烈な批判が気持ち良すぎて頷くしかなかった。

「私はよく本を書いてますがペンクラブなんかには入ってないあんなものはまったくいらんのです。」

ユリゲラーの話しをされたあと

「私はユリゲラーのテレビを面白いと思って仲間とみんなでみましたよ。面白かった。そのあとあれは手品だ嘘だとわあわあ言っている人がいたがインテリと呼ばれる人達のそういうものに対する態度がいかん!」

とかまあ書いたら切りがないが、爽快かつ的確なのである。一連の話のなかで「群集」の恐ろしさを語る部分があるのだがこれは現代で言う「炎上騒ぎ」にもそっくり当てはめることができる。

インターネットがない時代に何故そのようなことを的確に予言できたのか?彼は予言者なのであろうか?んなわけあるかいである。普通とは言わず頭のいいおじさんである。筒井康隆だって短篇小説でかなりのことを言い当てているではないか。

日本も陪審員制度になること。てんかんによる交通事故が問題になるということ。今は当たり前になったマスコミ批判や差別問題なんかをかなり昔から扱ってきた。

インターネットだろうが最新の量子力学であろうがなんだって全て人間が作り出したもので人間が関わっているのだからそもそも「人間とは何か?」を考えてきた昔の哲学者や宗教家や作家が現代のことを言い当てるのは必然である。言い当てるという表現がおかしいかもしれない。人間について当たり前のことを当たり前に言っていただけかもしれない。

人間は数多くの間違いエラーをおこす。間違いの元はなんなのか?必ず人は間違えるという前提はわかる。しかしその時代、時代で大きな原因はあるのだろう。例えばそれは現代社会に生きる人が科学の奴隷になってはいないか?言葉の奴隷になってはいないか?歴史とどう向き合えばいいのか?それらを本質的にえぐりだす小林秀雄先生の言葉は強烈なパワーで語りかけてくる。

哲学はあたらめて面白いと感じた。範囲が広いのである。科学は範囲を狭くすることで発展したのだけども哲学に範囲なんてものはない。先生が歴史の話しをしているときまるでタイムスリップでもしているかの感覚になる、人の心に入り込んでいるかの感覚になる、深い深層心理に入っているかの感覚になるのである。

あんまり入り込んでしまうと帰ってこれないそうだ。村上春樹も筒井康隆も同じようなことを言っている勿論小林秀雄も言っている。

「最近のハイカラな文学ってはなんだあれは!好きな女と一夜を共にして朝がくると女はいない、すると布団には女の残り香がってあんなもののを書いて喜んでいる場合か!」因みに会場の人、笑ってます。

あらゆる事に少しづつ触れながら最後は言葉に出来ない得たいの知れない何かの話しになっていきます。その何かってのはわからないわからないから面白いのであります。暇な人は是非聞いて欲しい。

小林秀雄信じることと考えることその1→https://youtu.be/RBjf9RiBszE

その2→https://youtu.be/LFYEHjF477Q

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