NHK の番組をみた。厚切りジェイソンと金田一先生の対談だ。
日本語のここが変をネタにしてる芸人と言語学者の対談が面白くないわけがない。
しかもアメリカ人と日本人という、仲良しではあるけれどどこか相容れない性格の違い、文化の違いがぶつかる感じが堪らなかった。
カルチャーショックとはよくある言葉。その大きな違いこそ面白くエキサイティングなのである。
お互い「言葉」を使い「言葉」を研究しおまんまを食べているプロなので言葉を掘り下げて話す内容がアメリカ人と日本人の決定的違いを炙り出す。
金田一「ジェイソンさんは自分のこと好きですか?」
ジェイソン「ええ、悪くないと思いますよ、好きですよ」
金田一「そこだよね、僕らは時々自分のことが嫌いになる」
とまだ続くのだが、ここは決定的に違うところだと私も思います。カナダにワーホリで一年いたとき嫌というほど味わいましたこのへんの感覚。
とは言えカナダ人はアメリカ人よりも控え目でどちらかと言えば日本人よりなのですがそれでも感じましたね考え方の違い。スタートから違うっす。
宗教の違いも大きい、キリスト教は隣人を愛せよといい、仏教では愛は執着につながるから愛を捨てろという。真逆
養老先生は虫を取るのが好きでよく海外に行かれるとか、その時同じ宗教つまり仏教の国に行くのと違う宗教の国に行くのとではえらいちがいだとおっしゃる。同じ宗教の国のほうが疲れないそうです。当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、これは無意識に近い部分でその民族がもつ根本的な考え方が宗教によって似ることを意味し、言わなくてもわかる部分を宗教が繋げているのだと思う。
いくら無宗教と言い張っても日本語自体仏教用語が沢山つかわれていてその精神は言葉に宿っているのです。染み込んでいるのだ。
仏教はある特定の神を信じなさいとかを言わないし、もっと言えばそれを否定する、どちらかと言えば宗教というより哲学的で分析的な側面が強く、さらに異教徒や無宗教と言う人に対しても寛容な構えなわけで、仏教国日本と無宗教日本は同時に成り立つ。
だからこの二人の対談は仏教とキリスト教の対談ともとれるのだ。
何か一致するものを見いだすわけではないがお互いの「違い」を面白おかしく理解し合うことは重要で、今後さらに必要になってくるのではないかと思った。アメリカ人に限らずね。
まあ、最終的には同じ人間という着地点があるからそんなにヤーヤー言わないで仲良くしたら?と呑気に思うのだが、政治や外交だと話を広げるとなかなかそうもいかない厳しい現実が盛り沢山の昨今。
イスラム国のテロ然り中国ロシア北朝鮮と「違い」だらけの水泳大会である。
この「違い」を楽しめるか「怒り」に任せて戦いを挑むのか、人間には選択するという余白、自由がある。どちらを選ぶかは貴方次第ですって都市伝説みたいになっちゃったw