2015年4月27日月曜日

バッターボックス

うす。ワタケンです。

「できません」に一生懸命エネルギーを注ぐ人達がいる。たくさんいる。

できることにスポットを当てずひたすらにできない理由を探してはそれを主張してくる、しかもドヤ顔で(笑)

ここまでくると清々しさまで感じてくるから不思議なものだ。

これをしようと思うが○○で、できない。あれをしたいが○○で、できない。本当はこう思っているが○○の空気を読んで言わない。○○が気になってできない。○○のせいで私は苦しんでいる。○○が悪い。

などなど、よくここまで探したなと感心するほど、できない理由というのはバラエティに富んでいて驚く。

大抵の場合、自分だけ不利だみたいな感覚があるようだ。自分だけ苦しい、自分だけ絶望している、自分だけできない、自分が情けない等等。

幸せな人達である。まず、自分だけ不利だみたいに思っているのがウケル。物の見方は死ぬほどあるというのに、わざわざ狭い見方だけ、反対側から斜めからすら見ないとな。地球が球体なのは偶然かもしれんがあらゆる方向から物を見てみるといろいろな発見があるものだ。

お金がないからできないという人はお金があってもできない。という名言は擦りきれるぐらいtwitterなんかでよく見る。

まあ、真理だからそのとおりですな。だとすると何が原因かという問題だ。

自分である。自分の中で止めているのだ。○○をしたい欲求はあるができない、○○のせいで、できない辞めておこう。

辞めてすむ問題なら、問題とはならないが、生活に関わるものはそうはいかない、食べないと死ぬからだ。

食べるためには金がいる。元々資産家か生活保護でも通れば死ぬことはないが、それ以外は働くしかなかろう。働きたくない人も多いだろうが、仕方なく働いている人もごまんといる。

働いても働いても辛いとな。金が欲しいが自分には無理だとか。

そう考える人は無理だろうねと思ってしまう。突き放しに見えるが仕方ない、そのように考える人が多いから資本主義の所得別人口分布は中所得者低所得者が過半数を越えているのであろう。

日本はいいか悪いか分からないがとりあえず、まだ平和な国だ。国民皆保険制度や義務教育も内容はともかくあるのはある。おまけに生活保護や自己破産まで仮に大失敗しても生きていける制度まで充実している不思議な国だ。だが自殺はあとをたたない。減ったとは言え、まだまだ死にたがりが多いのだ。

貧困層を助けようとする団体も多く存在し、ホームレスに炊きだしをしてくれる人達までいる。

はてはて何をそこまで絶望する理由があるのかわからない。

やれることはどんな状況下でもある。部屋の掃除ひとつとってもやれることだし、気分が良くなる。気分が良くなるとより頭も整理されいろいろ考えることができる。やれることはないとするのか、あるとするのかは自分自身が決めることで他のなにものでもない。

結局バッターボックスに立とうしないのだ。まず一番最初に必要な覚悟がないと前に進まないし、道は開けない。

どんな状況下においても、この覚悟だけは、いつ持とうが本人の自由である。しかし1度でも本気の覚悟を持つとその瞬間から世界は既に変わっているのだ。

バッターボックスに立つ前から野次はどんでこない、飛んできたとしてなんだというのだ。しかも、その球場は誰にも見られることなく、頭の中にだけ存在しうる。

バッターボックスに立つとハッキリと見える景色がある。打てる球と、まだ打てない球、豪速球まで。どれを狙ってもいいのだ。まずは打てる球から打つ練習。

練習しかないのだ。いきなり魔法みたいなものを求め、しかも周りに要求してくる不思議な人達があとをたたないが、ひとつひとつしかないということをどうしても認めようとしない。

やれることを積み重ねるしかない。

魔法はない。

唯一魔法があるとしたら、一番始めにバッターボックスに立つと決めた覚悟がその魔法にあたる。一瞬で世界を変える力がある。まさに魔法だ。

できないことに一生懸命な人達はこの魔法さえ黙殺する。まあ、好きなようにしたらいい。自分の人生は自分でしか変えることはできない。