2016年2月25日木曜日

近くのコンビニ

いつも行くコンビニの店員がおじさんに変わっていた。

「お父さん家にずっといても仕方ないからバイトでもしたら?」と奥様の声が聞こえてきそうな見るからに定年後のお父さんが着なれない制服に着られてレジに立っていた。

働きはじめなのだろうか、袋詰めする際にビニール袋をなかなかひろげられない。焦ったのかどら焼を落としてしまうしまつ。しかしきっと中小企業で長年揉まれてきたお父さん眉ひとつ動かさず袋詰めを終えると低い声で「ありがとうございました」

慣れすぎて早すぎる動きの高校生バイトより不器用ながらもなんとか仕事をこなすお父さんに何か暖かいものを感じた。

その何かが気になって考えてみる。親父だ。僕の親父だった。国鉄で機関士だった親父は辞めてしばらくすると近所のスーパーの警備員や高校の警備員の仕事をしていたのだ。

あの頃親父は楽しそうに仕事に行っていた。無理にそう見せていたとかそんなんじゃなく確実に心の底から楽しそうに仕事の準備をし向かって行っていたのだ。

機関士として仕事をしていた時よりずっと楽しそうに。現役時に働いていた時よりずっと給料は安くなっていた筈なのに嫌な顔どころか楽しそうに仕事にいく姿

その時は僕も若かったしよくわからなかったけど、今となってはわかる気がする。

働くこととお金を稼ぐことは一緒のようで違うのだろう。じゃないと説明つかないからね、給料は安くなってるのに楽しめるんだから。

人は誰かに必要とされたり役割や居場所を与えられると生き生きするのだ。親父も若い頃はヤンチャで俺が稼いだ金を俺が使って何が悪い!なんて時期もあったのだろう。ちゃんとそんな時期の親父は楽しそうに仕事をしていない。嫌々会社に向かっていた。

働くということの本質的な味は多少年齢を重ねないと理解できないかもしれない。ちょうど定年後あたりがその味を一番感じれる年頃なのかも。

そうやって若い人も今の仕事を楽しめたら一番いいのだが、なかなか難しいよね。ある一定期間嫌々仕事をやらないとやっぱ見えてこない世界なんだろう。

僕も味のわかるジジイになりたいと思った。