看取り。
これは私の父親が癌かもしれないと診断されてから入院、亡くなるまでの話です。
癌は早期発見で治ると言われるようになった時代ですが、それでも癌で亡くなる方は多い。
この前テレビで今井雅之さんの記者会見を見て愕然としました。あの顔の痩せ方、汗のかきかた、12年前の父の顔を思い出す。
父は60歳という若さでこの世を去りました。生きていれば72歳ですが、生きていればなんて仮定はまったくもって下らない表現であります。
その頃、私は長野県の工場で働いてました。ほとんど、連絡をとっていなかった姉から父が癌かもしれないという知らせを聞いたのが始まりです。
私には姉が二人に弟が一人と、今の時代では珍しく賑やかな家で育ちました。母方のお爺ちゃんとも一緒に暮らしていたのでなかなか楽しかった思いでがあります。
しかし、お爺ちゃんは癌で私が低学年の時に亡くなる。
お爺ちゃんはお婆ちゃんを亡くしてから仏教にのめり込んでいったと母から聞かされていた。近所のお寺さんに熱心に通い、いろいろな偉いお坊さんの説教テープや難しい本がお爺ちゃんの部屋には沢山あって、多額の寄付なんかもしていたそうだ。
住職はお爺ちゃんから見ればまだまだ若く、お爺ちゃんは住職を可愛がっていたらしい。写真にはお爺ちゃんのそばで横になった住職が肘枕をして写っている。とても印象的な写真がある。
そんなお爺ちゃんが癌で入院した時、母は大変な思いで看病に子育てに追われていた。僕はまだ低学年、弟は学校にも行っていない年頃だった。
お爺ちゃんの様子が気になって病院にいたい気持ちと子供の世話をしないと父に怒鳴られる母が病院と家を行ったりきたりする時期である。
癌は容赦なく転移する。抗がん剤治療は強烈な痛みを伴い、あれだけ長い時間、仏教を勉強された方でもその苦しみと自分の存在の意味をわからなくさせる副作用がある。抗がん剤を注射すると熱いと言っていた。焼ける感じがするらしい。
僕はまだ小さく入院中のお爺ちゃんを見たのは亡くなる直前だった。
母から聞かされた話しは強烈すぎて頭から離れない。
お爺ちゃんは病室のベットで暴れたことがあるそうだ。「殺してくれ」と叫びながら暴れたらしい。母親はお爺ちゃんに怒ったと言ったので私はひどく驚いた。
「私がどんな思いで看病に来ているかも知らないでお爺ちゃんはなんでそんなことを口にするのか、家では学校にも行っていない子供がいるのよ、お爺ちゃん」
お爺ちゃんはそれを聞いて「すまなかった」と泣いて謝ったそうです。それ以来お爺ちゃんは暴れることはなくなったそうですが、いかに辛い闘病生活であるかはご理解頂けると思います。
そして、お爺ちゃんは亡くなるまで日記を手帳に書いておりました。
私がそれを読んだとき、涙が止まりませんでした。あれだけ真面目に働いて、仏教も真剣に勉強されてきた方が、死ぬ前日に書いた文章が「死ぬのが、こわい」と手が震えて字が辛うじて読めるほど汚なさで書かれていた。お爺ちゃんは物凄く達筆な方で、お経を筆で書いていた人です。
僕は「癌」と「医学」と「死」について深く考えさせられました。
お爺ちゃんの死から気付けばかなりの年月が経ち、姉からの連絡に耳を疑いました。
どうやら今度は父親が癌らしいのだ。この時はまだ「らしい」という状態であった。
血液検査の数値では癌であるらしく二人の姉も看護士なので、それは仕事なのでよくわかっている。しかし確実な診断はまだ下されていなく、また胃の細胞をとって詳しく調べるとのことだった。
結局、胃からとった細胞は問題なかったのだが、一年後、父は仕事中に倒れ入院した。どうやら、膵臓が癌に侵されていて症状として出てきた時には遅かったのであります。
その頃には癌は全身に転移し、肝臓が肥大し黄疸がでていた。僕は仕事を辞め病院に毎日のように行く。
父はとにかくお笑いの好きな人だった。
ただ引いたのは、父が肥大した肝臓のせいでお腹だけポッコリでているところをポンポンと叩きながら看護士さんに「俺は元相撲取りだったんだ」と冗談を言って笑わせていたシーンは引いた。
笑えないとかじゃなく、果たして末期癌に自分がなったとして同じことをできるだろうか?と思い、想像した後に引いたのだ。
お爺ちゃんは暴れていたんだ。内臓が癌に侵されていっているなか毎日黄色くなっていく肌の色を見て、お腹だけポッコリでてきてあとはガリガリに痩せていくんだ。そんな中、誰かを笑わせるなんて、できるだろうか?
母は父のことを「カッコつけ」と言っていた。下を向いて泣き叫ぶのではなく、笑わせて皆を安心させたかったのかもしれない。
話を少しだけ戻すが、倒れて入院した時に癌の進行具合、病状を説明され、母親が父に治療はしないで受け入れようと言っていた。いわいる緩和治療だけで本格的な治療はしないという方針を本人に癌であることを告知し、なおかつそう伝え、父はこれを承諾したのだ。
姉はこの時のことをメールでこう送ってきていた。「お父さんは癌で入院することになりました。癌は転移しているから治療はしないで受け入れようとお母さんが伝え、お父さんはこれを承諾した。今日ほどこの夫婦が凄いと思った日はない」と。
私も同感です。
もし、愛する人がいる人なら想像できるだろうか?愛する人が癌でそれを告知し、かつ承諾する相手。
緩和治療とは、癌で全身が弱っていくなか、モルヒネなどで痛みを和らげながら最期を迎えるというものだ。
日に日に弱っていく父の看病はこちらの心が先に殺られそうになるのだが、先生の度重なる丁寧な説明と、兄弟が4人もいたことと、母親の肝っ玉のデカサになんとかなった、いや不謹慎だが、少しだけ楽しかった。
父親の文字どおり命をかけたギャグや、家族がひとつにまとまって狭い病室でワイワイしていたことや、姉の子供が可愛すぎて親父がニヤニヤしていたことは楽しかった。
しかし、現実の時間というのはなんにも待ってはくれないのです。
だんだんと意識がある時間が減っていき、投与するモルヒネの量はだんだん増えていくのであります。痛みはどんどん増していくのでそれに対抗すべく増えるモルヒネは、今度、父の頭を惑わしてくるので、幻覚をみたり呂律が回らなくなったり、それもしっかり見ていました。目を背けてはいけないと半ば使命や義務のようなものを感じながら、目に焼き付けました。
最後の最後で、僕は長野の部屋に残した荷物を片付けに長野に1度帰らなければならなくなり、長野県について部屋に向かう途中、列車の中で父親の死を電話で聞いた。周りに多くの客がいるなか、声を漏らしながら泣いた記憶がある。
人は毎日忙しく働いていると自分が死ぬことを忘れてしまう。しかし、それは必ず自分に起きる人生最大のイベントだと私は考える。
私はお爺ちゃんも父も尊敬している。人生をどう生きたとか何をしてくれたとかそんな下らない視点ではなく、彼らは自らの死を持って私に教えてくれたのだ。
人は皆死ぬことを。
お葬式には必ず子供がいる。あれはそうしなければならないのだ。理解できるとかできないではなく、世の中で必ずおこる人の死というものを体感し共有することが目的なのだ。そこで、はじめて形あるものは全ていつかは滅びることを知り、時間と共にあらゆることが変化するということを学ぶのだ。
目を背けたくなるような鼻から管を通されたお爺ちゃんや父親の顔、痩せ細り黄色くなっていく様。そこにあるのは嘘偽りなき真実が時間と共に過ぎていくのである。目をそらしてはいけない、しっかりと看取りをすることを私は皆さんにすすめたい。