見てきたことや聞いたこと♪
いままで覚えた全部♪
デタラメだったら面白い♪
そんな気持ちわかるでしょ♪
はい、ブルーハーツの情熱の薔薇です。
この歌詞すごく好きなんです。わかるんです。まあ、実際どこまで本当か疑わしいですからね。人間が人間を理解していない、もしくはわからないことだらけなんですから、いくら科学やなんだと言ったところで、歴史すら新たな遺跡や古文書なんかでなんとでもひっくりかえったりする。
いままで教わったものが全部嘘だったなんて世界はぜんぜん普通にあることだと本気で思いますよ。
勿論、教わること自体を否定はしないです。ただどっかで疑う、もしくは自分の五感で捉えようとする心構えはいつでも必要になってくると思います、特にこれからの時代は。
ピカソの絵が素晴らしい。って言わなきゃダメなんですかね?
芸術作品の評価を教科書や先生から教わることって本当におかしいと思うんです。ピカソの絵が素晴らしいって本気でその絵を見てその人が言っているならわかるのですが、ピカソの絵は素晴らしいと習ったから素晴らしいと言っておかないと自分が馬鹿にされるからなんて理由で評価されたところで本人も絶対嫌だと思うんですけどね。
客観的なんてものはないとニーチェも言っているのですが、僕も本当にそう思いますね。だって人間が世の中と接触をもつには必ず自分の五感を通してしかありえないでしょ。であれば、物事には必ず主観が入る。そしてその主観的な考えやものの見方は肯定されるべきだと思います。
何故ならそれが人間だからです。
そしてその主観でもってピカソの絵をみてなんだかわからないけど心が揺さぶられたのであれば、はじめて素晴らしい絵だと評価されるべきだと。
ただ僕が思うに、五感って衰えませんか?ようするに歳をとれば単純に鈍ってくる。だから皆、声を揃えて、自分の青春時代に聞いた曲が一番いいと言うんです。当たり前です。だって自分の一番多感だったころ、つまり五感が一番冴えている時に触れた物が一番いいに決まっているからです。
何が言いたいかと言うと、つまりはこうゆうことです。
本当の評価って難しい。
もし芸術なんかを評価しなきゃいけない場面で誰が審査するか?絵画なら凄い画家とかになるでしょうし、お笑いなら凄い芸人だろうし、まあ、例をあげれば切りがない。
必ず主観が入ってしまう人間が客観的に判断なんてできっこないんですよ。必ず好き嫌いや好みが入る。ただ、それが悪いってことじゃないです。難しいってことです。
そこで提案があります。確かに芸術作品の評論家は気の遠くなるような書物や映画をみてさらに深く深く掘り下げて勉強してきてますから、一般の人よりある程度客観性もあり、的確なものいいには聞こえるのですが、それはそれとしてまた別の基準てゆうか目安なんてものもあってもいいと思うんですね。
五感の衰えがなく余計な知識のまったくない子供の声です。
まあ、一般の声というのはネット時代なので腐るほどありますからそれはそれでまたひとつの基準というか目安になりうるのですが、単純にどちらがいいと指さしできる判断力がある子供たちに評価してもらうって結構面白いと思うんです。
まあ、異論は沢山あるだろうけど、オッサンの独り言だからね、
例えばフィギアスケートの評価って審査員ぱないじゃないですか。技術的な分野を人工知能で評価しつつ、今まで通りの審査員も審査しつつ、いろんな国籍の子供にも、どの演技が一番感動したかを問う。とかね。
子供の評価って多分ヤバイっすよいろんな意味で。ある意味残酷だったりある意味大人も驚くようなことを指摘したりする可能性がある。なんせ真っ白ですからね。
いらないことを何にも知らない子供の五感ってもしかしたら一番鋭かったりするのかなあなんて思ったりしまして。