2016年3月8日火曜日

宗教とか

大丈夫かなあ~こんな題名つけて。まあ、今の時点で感じることわかってきたことを整理する意味で書いてみます。

前回は小林秀雄先生の哲学にサラッと触れてみましたが、今回はさらにわかりづらいとこまで飛び込んでみようと思います。まさに独り言として許して下さい。

僕は天理教の家に産まれました。正確に言えば父方の親が天理教だったわけです。物心ついた時から教会と呼ばれる家にいき、そこで大勢の信者さんが集まっていろいろな踊りや鳴り物と呼ばれる楽器の演奏を見ていたのです。そのうち少しづつ教えてもらい、しまいには一緒に楽器を演奏したり踊ったりしてました。

記憶は定かではないが小学4年ぐらいまでだったろうか?そのぐらいやってました。はい、まったくもって訳わかってませんでしたよ。勿論、姉や弟もやってましたのでたまーに思い出しては皆で
「あれっていったいなんだったんだろうね?」
と笑い話になってます。

天理教は奈良県天理市を本拠地とした立派な宗教です。勿論否定するつもりもありません。ただ小学生に宗教を理解できるわけもなく(わかる子供もいるとは思いますよ、けどそいつ天才だろw)

素直な感想として訳がわからんと言っているのです。まあ、これから宗教を本質的に掘り下げていっても最終的に訳がわからんとなるでしょうから、この訳がわからんという子供の感想はまんざら間違ってもいないかもしれません。

母方の親は熱心な仏教徒であります。今となってはすっかり仏教で染まってますね実家というか家は。正確には実家は取り壊して跡地に姉夫婦が立派な新築を建てて暮らしております。

まだ古い実家があった時からお寺さんがきて御経を唱えていましたよ。その間笑いを堪えるのが楽しかったです。なんか笑っちゃいけない空気って笑いたくなるじゃないですか、あれです。

と幼くして2つの宗教にあうわけです。勿論どちらも訳がわかりません。しかし1回目の急接近がありました。僕の留学です。

高校を出てすぐにカナダに行きます。理由は省略してとにかく行きます。行きの飛行機は早い時間だった為、札幌に前泊であります。なぞな安いビジネスホテルに泊まりました。高校生活を全てアルバイトに当てて貯めたお金を持って2回目の海外、憧れの海外に、しかも今回は長期滞在が可能という状況です。はい瞳孔ひらきっぱなしのハナジもんの大興奮状態ですから寝れと言われても寝れる訳がありません。

おもむろに開けた引き出しに謎な本がありました。はい来ました仏教の本です。もう完全に寝れないので読みます。普通訳がわからず寝るのが当たり前の筈が逆にのめり込んでしまいした。むむむっこれ面白いんだけど。「善悪」いい悪いというものははじめからない。人間が後から勝手につくったものである。とか、それから差別が生まれるのである。とか、いろいろ初期仏教で説かれていたであろうことが書いてあったのです。とうとう寝ずに朝まで読んでしまいました。

ほんでカナダはキリスト教です。教会にも行きました。牧師さんの話しも聞いてきました。はい何言ってるかまったくわかりませんでしたけどw

東京から来ていた人が「ケンちゃんフリーフードって知ってる?」と言ってきて、聞けば教会にいって牧師さんの話しを聞いた後にただでパンとスープが飲めるという単純に炊き出しの話しw一緒に行こうと誘われ社会勉強の為行きましたw

いやね、凄い行列なんすよみーんな100%混じりっけなしのホームレス。アジア人は二人だけwww しかも割りと普通の服装。浮く浮く。もう多分時効だから名前書いちゃうけどカズさんは食べ終わった後でもまわりの食べ残し(てがついてないパン)をナプキンで包んで持って帰ったんすよ、eat in and take outしたんです!変態でしょw

あの人面白かったなあ~元気かなあ。

って話し戻しますけど、スゴクないすか?こんな分かりやすい飴とムチってあります?正確にはムチが先で後で飴なんすけど。ニンジンぶらさげた状態で聖書聞かせるんですよ?しかもホームレスばっかり、いやいやそもそもなってツッコミたくなりますよ。完全に神様なんていねーよって生活をしてる方々にフリーフード釣りからの聖書ホールドですからね。正直びびりました。まあ神の施しなんだうねやっぱり。

んで向こうの生活はかなり密度は濃かったんですけど、暇な時間てのも結構ありましてね。そんなとき日本人旅行者が置いていった日本の本が助かりました。読みます読みます。どんどん読めちゃうんですよ。仕事もしてたんですけど、休みの日とかグータラグータラで本しか読んでませんでした。またいろいろ考えちゃうんす旅先ってのは。

まあ、最終的に仏教が一番腑に落ちるんだけど。仏教は心の病院と言われてまして必要な時に来てくださいと、治ったら退院して結構ですみたいなスタンスがあるっす。みなさんは仏教に勧誘されたことないでしょ?ないはずなんす。あったらそれは多分仏教まがいの偽仏教です

家のピンポン押すのはキリスト教でしょいろいろ宗派はあるだろうが。いや勧誘するなとはいいませんよ、そのスタンスの違いだけでも仏教が腑に落ちるんすよね。

一般的に言われている初期仏教つまりブッタは今生きているということは苦しみと捉えた。その苦しみを取り除きたいと考えた訳です。キリスト教はあの世で天国か地獄に振り分けられると説く。宗教家じゃないんで間違ってたらご免なさい。ただ簡単に書いてみました。

ブッタの言葉は死ぬほどあるっすけど、その中に「あの世もこの世も捨てろ」という言葉があるらしい。この辺からニーチェは元々神父の父がいたにも関わらず「神は死んだ」と言っちゃう気持ちがわかるんすよね。簡単に言えばニーチェつまり実存主義は思いっきり仏教寄りの考えなんす。

なんでこの世とあの世を分けたんだと、しかもあの世をさらに天国と地獄に分けた。そうなると今生きている世界になんの期待をすればいいのだ?となってしまう。キリスト教の影響が強く残るヨーロッパでなんでも「神、神、神」人間は「罪、罪、罪」ですから押し込まれたテンションがボヨーンと跳ねかえったのでしょう。何が悪いんじゃーいと。いい加減にしろーと。今俺はここにいるだろがーと。脅しに対して逆ギレですよ。

岡本太郎風に言えばニーチェ爆発であります。そしてその考えは仏教に近かった。ハイデガーは親鸞の歎異抄に感銘したようでなんやかんや言葉を残してます。ニーチェもハイデガーもサルトルも同じような実存主義仲間。みんな仏教的なんですな不思議と。

あと仏教でたまーに極楽とか地獄とかいう表現聞いたことあるかもしれませんが、あれ一応この世の話しです。実生活にある極楽と地獄を説いてますんでどちらが実践的かと言えば仏教のほうが実践的であると思います。って簡単に書きましたけど、本当はまだまだ深いとこまでいくんですけどね両方の宗教。かなり深いとこまでいくとかなり似てきます。この辺はいつまでたっても終わらなくなるから辞めときます。

ほんで仏教の好きなとこは他の宗教に対しても寛容なんです。争わないんす。その必要がないぐらい知を積み上げてきている宗教なのでちょっとぐらいじゃぐらつかない。あの養老先生もキリスト教系の学校を卒業しつつも仏教が一番府におちるとおっしゃっている。

かなり長くなってきたので強制終了しときます。宗教や哲学と反対側に位置している科学も実は掘り下げていくと非常に距離が近くなる。このへんのディープなとこはまた別の機会に書きますです。でわでわ。


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