2015年8月21日金曜日

芥川賞受賞の「火花」を読んでしまった感想

とうとう読んでしまった。書店に「火花」が並び始めた頃、「ピース又吉さんが書いた本」というポップだけで「ケッ誰が読むかボケ」と思いながら何ヵ月も過ぎていき、夏もお盆にさしかかると僕は予定していた大阪に向かった。

大阪には彼女がいる。キングオブ深夜バスで朝の梅田6時半に着くと腹が減って仕方なかった。って小説調うぜええwww

まあ、簡単に言えば彼女の家に着いたら文藝春秋があったから借りたというだけの話しw

私は懐疑的な人間なので多くの人が面白いと騒ぐものはみな疑ってかかるたちだ。一言で言えばめんどくさい人間なんです。だから今回もそりゃあ批判するつもり満々で、どこをどう蹴落としてやろうか悪い性格を更に悪くしてヨダレを垂らしながら読み始めると、、、「アレ、これ面白いぞw」と出足からサックリともっていかれたのであります。

芥川賞と直木賞の違いは皆さんわかっておられますよね?純文学つまり娯楽性をもとめる大衆文学ではなく純粋に芸術性をもとめた文学に対する賞が芥川賞で、その反対が直木賞ぐらいの感覚でいいと思いますが違ったらごめんなw

僕は元々、本好きではなかったのだが好きすぎる映画をより楽しむ為に本を読むことが必要だった為、十代の終わりごろから貪るように小説を読んだことがあるその頃ハマッたのは筒井康隆さんのSF、十代の感受性で読むと頭がおかしくなりそうな強烈な文体に鼻の穴を膨らませながら読んだ記憶があります。

筒井先生が鬼才すぎる為、純文学からライトノベルまでなんでも書いてしまう人。その辺から純文学とは、大衆文学とはみたいなことは感覚的にとらえていたつもりだ。なので今回「火花」が芥川賞を受賞と聞いて正直ひっくり返った。いやいやいやいやw芥川賞は他の賞とわけが違うぞマヂかと。作家を志す人ならみな憧れる賞で、何年も何年も書いて書いて書いてもだいたいソッポを向くイヤらしい性格の賞だ。これをサックリとしかも芸人がとっちゃったのだから事件と言っていい。

僕はこの事件をtwitterで知ったのだがその時思ったのは「なんやねーん読まなアカンやん」でした。

んでもって読んだ。ムム、ムムム、アレ?これめっちゃオモロイやんw
形而上学とか哲学とかは僕の大好物なので、いとも簡単に落ちちゃいましたね今回w

「笑い」を哲学するのって強烈に難しいんです。以前、筒井康隆さんとタモリさんの対談みたいのが30年ぐらい前にあってその時の会話が物語っている。

筒井「笑いを哲学するというテーマで対談なんですが、よりによって笑いでご飯を食べているプロがやるというのは大変なことですな、手品師が種を明かすようなもの」みたいなことを言って

タモリ「じゃあやめます」

筒井 「終わった」

編集 「こ、困ります!」

みたいな流れを読んだ記憶がある。

実際はそのあと真面目に「笑い」の哲学について語るのだが糞ムズくて笑えるよ。

同じ芸人で本を出した人いましたよね?劇団ひとりとか品川とか爆笑太田とか。まあ、全部読んでないのでなんとも言えないのですが、多分お笑いのことは書いてないと思うんですよ、いやむしろそれが普通なんです。

普通は書けないんですよ。笑いが難しいから書けないんじゃなくて、それで飯を食ってる人が「笑い」とは?を本に書くという行為そのものが、ほぼ崖から身を投げるに等しいからだ。

それを又吉はやってしまった。本来はこの勇気だけで賞を貰えるぐらいなのだが、よりによって芥川賞とはいい世の中になったと思う。

内容は「僕」と先輩芸人の「神谷」との掛け合いだ。これだけでもっていくだろうと神谷が出てきた時点で思ったら本当にそうだったwww 場面の移り変わりも新しい登場人物も大してない。がしかし濃い。泥棒のヒゲぐらい濃い。ケンタッキーを食べた後の天丼ぐらい濃いのだ。

又吉の「笑い」に対する情熱を感じないわけにいかない内容になっている。この熱を選考委員の先生方は評価したのではないか?と思う。

まあ、アラを探せば最後のオチに注文がつきそうだが、それを含めても書いちゃった勇気を評価せざるを得ないでしょ。

糸井重里さんが「普通は良く思われたい良く見られたいと思うのにどうやってその感情を抑えたんですか?」と又吉に聞いていた。この質問すげーわかるんだな。読むとわかる。だって一切ないからね。簡単に裸になってみせた又吉。

多分彼の中で美しいということは同時に凄く醜いものであるという対立するものを同時に成立させているものが「人間」というものではないのかという、かすかな感覚があって、その醜さからくるいろいろな感情や行動がタイミングにより物凄く滑稽なものにかわる瞬間を切り取った時、「笑い」が産まれるのではないか?という形而上の感覚を紙に書きなぐったら芥川賞とれちゃったテヘペロってとこなんじゃないかと勝手に思ってます。

室町時代の美人が現在の美人にならないように「笑い」も絶対的価値があるわけではなく常に相対的に作用するものだから形而上や哲学的に探求すると終わりがないのであります。この終わりがないものという物は得たいの知れない何かなので、前にブログでも書きましたがいい芸術作品というのは必ずこの得たいの知れない何かを表現するために四苦八苦し真正面からぶつかった結果にできるなにがしらだと思うんです。

うん、火花ヨカタよ。

けど面白さで言えば樋口さんの「さらば雑司ヶ谷」のが面白かったかなあ。あっ安心してください僕は性格が悪いんです。んじゃ