2016年3月24日木曜日

風の電話

震災から5年。僕はその時、島根の工場にいた。勘違いをした北海道の知り合いから電話を沢山もらったがここは島根で1ミリも揺れてないよと伝えた記憶がある。テレビでみた光景はまるでフィクションのような惨事で本当のことではないような錯覚と移住してきた土地が運よく島根だったことを単純に良かったと思った。

わざとらしいマスコミの報道にはずっと疑問符がついた。確かに報道しなければならない大災害だ。それはわかるのだが、報道の仕方というのは難しい。

震災から5年、忘れてはならないとテレビは言うが実際のところ忘れたいと思う現地の人達もいるのではないかと複雑になる。忘れたくても忘れられない苦しみの深さを知るよしはない。テレビの報道が白々しく聞こえてしまうのだ。

NHKスペシャルで「風の電話」というタイトルの番組が放送されるとニュースピックスというアプリで知っていた。そのアプリでのコメントは控えた。その番組の内容が震災のあった場所に「風の電話」と称した電話ボックスが置かれていて、そこに多くの人が来ているという話しだったからだ。さすがに自分なんか下らない人間が言葉なんか信用ならないもので何かをコメントするなんて吐き気しかしないと思ったからだ。

その番組は観ないでおこうと思っていたのだが、テレビをつけるとチャンネルを秒速で変える癖があやまってヒットしてしまい、風の電話ボックスにある家族が入る瞬間を観てしまった。

2秒で泣いてしまった。まず亡くなったであろうお父さんの娘が「お父さんと話す時、臭いって言っててごめんね」と謝っていたのだ。このフィクションでは絶対に出てこない日常の何気ない会話の風景が頭をよぎりかつ、心の底から後悔している娘さんの素直な懺悔に僕の涙腺は耐えられなかったのだ。

そのあとお母さんが電話ボックスに入る。お母さんの溜め息が、溜め息だけで、僕はおお泣きしてしまった。その電話ボックスには線の繋がっていない黒電話が置かれている。線が繋がっていようがいまいが受話器を手にした瞬間、完全に繋がっている家族の想い。亡くなったお父さんと完全に繋がる瞬間にお母さんは大きな溜め息をした。「はぁー」この溜め息は男性を前にした女性の溜め息にも聞こえたし、疲れた母親の溜め息にも聞こえたし、疲れた父親の溜め息にも聞こえてきた。

子供は3人。きっと父親役もかねて弱る自分に鞭を打って5年間懸命に生きてきた母親の溜め息は複雑な役柄を同時にこなさなければならない辛さと、甘えられる「あなた」がいない寂しさと、けど子供を育てていかなきゃならない現実が全てごちゃごちゃになって出てきたのだ。

「はぁー何から話せばいいかわからない」

僕は話さなくていいと思った。溜め息に全てが込められていたからだ。人は息で表現できると思った。そのお母さんの吐く息は震災で家族を失った人達全ての「溜め息」のように感じられた。5年という歳月をへてようやく風の電話にきてもいい状態になっていたのだろうか、一段落ついたのだろうか。

僕は恐山やイタコを思い出した。

何故、恐山が霊場と言われているのかを南なんだかというお坊さんが語っていた。恐山には人々の想いが形になってあわられているからですと。幼くして亡くした子供の霊を供養しようと親が毎年じょじょに大きくなる子供服をお供えしに来るのだという。一年一年生きていたら成長したであろう子供服を。

霊がいるとかいないとかそんな下らないことはどうでもいいのだ。人の想いはそこにあるだろと。さすがの大槻教授も何にも言えない筈だ。彼も人の子なら。

人の死には3種類ある、まずは自分の死、それから家族の死、そして他人の死だ。

この中で一番重要で一番ストレスになるのが家族の死だ。自分の死なんてどうでもいいぐらいだ。死んだことも理解できない。他人の死も「交通事故死者」何人のレベル、数字にされて薄いなんてもんじゃない。けど家族の死は一生寄り添うべったりとした粘着力の高い言葉にできないものなのだ。その処理方法はない。ないのだ。ないから辛い、ないから大変なのだ。

少しでも、少しでも軽減させてくれるものがあればとイタコという職業は生業として自然発生したのだと思う。

霊感商法とか悪徳詐欺だの非難したい奴はすればいい。だかなそれを必要としている人達の想いを肩代わりする覚悟はできてんのか?と言いたい。

そんな簡単に触れるもんじゃない。その一生続く問いは一生答えの見つからないものなのだ。その問いを体の中に入れながら生きていく人達。

多分今日もなん組かの人達は「風の電話」に行った筈だ。そこに行っては報告するだろう近況を、そこに行っては報告するだろう心境を、そこに行っては報告するだろう亡き「あなた」への想いを。