2015年4月20日月曜日

いい悪いを消す

ちゃーーす。今日は夜勤なんで書いたら寝るぜワタケンです。

「いい悪いではなく」ってよく見ませんか?

最近増えてきたなあって感じます。僕は昔からコダワリというのがほとんどなかったし、旅に出る時、前泊したホテルにあった仏教の本になるほどなあと感心していたので、このいい悪いというのがあまりありません。

本に書いてあった一発目がいい悪いは人間が勝手に決めたもの、そんなものは始めから存在しない。

と書いてあって、お、おう。ってなってたが(笑)だんだん意味がわかってくると知らずに実践してました。

何故か?そのほうが楽なんすね。分けるより分けないほうが楽なんす。自然にそうなっていきました。

ひとつ分けると、次から次と分けないと気がすまなくなってくるものです人間は。だから世の中には死ぬほど名詞が溢れてる。分けたあとに名前をつけるっす。

そして、それらのものからさらに「いいもの」「悪いもの」に分類するっすな。

この時の基準が倫理とか道徳とかモラルとかインモラルとか(笑)これは違う、TSUTAYAによくあるアダルトコーナーじゃないけどエロそうなB級作品によく使われてるやつや(笑)

法律とか。法律はちょっとアレだけど、道徳とかはね、よく言うでしょ「人として」ってやつっすな。

それぞれかぶる部分もありますな、盗みをしちゃいけない、人を殺してはいけない、人に暴力をふるってはいけない。法律でも禁じてますな。

あっ関係ないっすけど、実は風水とかでダメってされていることは建築基準法でも禁じているらしいですよ。

先生! 顔相でダメな場合はどうしたらいいですか?

A.知りません(汗)

まあ、それらの極端な例はここでは触れません。かなり長くなるので。

別にどっちでもよくね?ってことも白黒つけたがる人いるでしょ。世の中はグラデーションだと言ってあげて下さいまし。

はなっからレッテルをはると確かに分かりやすいが、果たしてそれは本当なの?って疑うことを忘れちゃいけない感じがするのであります。

いい悪いってハッキリするから歯切れがいいんだけど、果たして人間てそんなに偉いのかよって思うっすな。

世の中には必ず両サイドバックがあるっすよ。いや両面ね。

だからどっちかだけって成り立たない。

光があれば影があるっす。どちらか一方だけ取ってあーだこーだと言ってもしゃーないんす。

人生には意味があるとも言えるし無いとも言える。その両方を含めてひとつのものになってると思います。

抽象的すぎる謎な文になってきたので、ブルーハーツの歌詞を

見てきたことや聞いたこといままで覚えた全部でたらめだったら面白いそんな気持ちわかるでしょう♪

はい!わかります!

いい悪いなんて言えるものはほんとに無いと思ってます。だからと言って悪いことをしろと言っているのではありません。

何を持っていい悪いと言っているのかということです。それがしっかりあればいいんじゃないっすか、ただ周りがそうだから先生が言っていたから、世間一般ではこうだからなんてなるんなら下らなくなりますな。

僕はいい悪いを捨ててからいろいろな物や人に触れました。世間からみればダメな人達とも仲良くなったり、世間からみればダメなこともしましたよ。けど思ったより悪いことばかりじゃなかったっすね。

むしろいろいろな発見があります。分けるなんて勿体ないことはできなくなりますよ、経験しちゃうとね。

いい悪いは無いって真理は否定しようにもできません。

何がどうしても陽はまた登る。

何?イチローと犯罪者を一緒にするな?

A.残念ながら同じ人間なんです。

何をどう生きようと勝手だと思いますよ、ただ同じ人間って枠だけはどうしようもないのです。

いい悪いを消すと楽になりました。人を見上げることも人を見下すこともまったく無くなりましたね。

みんなイチロー凄いイチロー凄いとうるさいが、何が一番凄いかって犯罪者も同じ人間だって事実のほうが凄いと思うけどな。

日の当たるところもそうでないところも同じ人間が生きてるんだなあ、わたを。


自分とは

うぃーーーす。選挙後半戦、朝からうるさいなあ。

自分とは。

でたーかなり面倒くさい感じ~。

自分てなんなんすかね(文太風)

青い鳥や孫悟空のお釈迦様の手のひらの話しは知ってますよね?

探し求めていたものが実は自分の家にあったとか、キントウンでどこまで進んでもお釈迦様の手のひらの上だったとか。

結局は自分って枠から出られない人間の仕方ない部分を表現しています。

目は外を見てるのでどうしても内側を自分で見るのは難しい。なので哲学や宗教は文字、言葉を使って見えないものを何とかして見える形にして無意識の海に飛び込んだのであります。

昔の人の知りたいと思う強い気持ちが伝わってくるのと、とにかく面白いのでハマリます。

自分とは、自分探しとは。

結論から言えば、んなもんありません、考えるだけ無駄であります。

自分で自分を分析したり知ることはできなくはないですが、そのほとんどが周りの人に言われたものですな。それを聞けるか聞けないかはデカイ。

養老先生こんなこと言ってました。何回も書いてますが何回も三回も書きます。

「えーナビや地図あるでしょ、一番大事なものは何ですか?はい、そうです現在地ですね。この現在地が言わば自分ってことです。」

真理すぎてハナゲ抜けちゃいます。

人間は動物です。動く物と書いて動物であります。だから動くのが仕事なんすね。植物は動かなくていい。だから植物には地図はいらないのであります。

動くのに、まあ、世の中にあてはめれば、家からもしくは橋の下から職場に行って帰ってきます。この時に頭に地図がないと、もしくはこの駅から電車に乗ってどこで降りたら会社に着くかは考えなくてもわかることになってます。じゃないと生きていけませんな。

ただし、一番はじめに行くとき、もしくは旅行にはじめて訪れた場所なら地図がいるんす。この地図に現在地がない場合(笑)わかりますか?

もう、無重力空間にときはなたれたような、さ迷う子羊であります。

どこに行ったらええねん、ここどこやねんの世界。そうならないように自分というポイントをつけて頂いたんすね、神様か何だかかは分かりませんが、とりあえずそういうことになっている。

だから自分探しって言葉、意味わかります?逆に(笑)

探すも糞もテメエはそこにいるのです。

それを、探すとな?青い鳥より酷いエンディングやキントウンに乗った孫悟空がそのままずっとどっかに行きっぱなしジャーマンになるエンディングしか見えませんよ自分探しwww www

しかもだいたいが自分には何が向いているのかとか自分は人からどう見られているか?みたいな下らない考えから出発するような自分探しなんて言葉になんの価値も真理もあるわけがないのです。

向いてる向いてないってなんやねん。やらなきゃわからんでしょうが。それも中途半端にしていやあ向いてないかも?かもってなんやねん!

自分で投げた球を自分でストライクとは言わないんすよ。審判がストライクと言うかボールと言うか決めるっす。

自分って言うのは野球で言えばピッチャーひとりでマウンドにたち球を投げるっす。どんな球が投げようが自由っす。打たれるかもしれません、ボールになるかもしれません。ボークを取られるかもしれません。ワイルドピッチで失点するかもしれません。ただ、だからと言って投げるのやめたピッチャー見たことありますか?

向いてる向いてないなんて、投げる前から審判になってるだけっす。しかも自分は審判じゃないのに。矛盾だらけなんすな。

人からどう見られているか?どう見られたいか?

どうでもよすぎてよく寝れます(笑)

そもそもその人ってなんやねん。近くの人か?職場の仲間か?世間一般か?

まあ、一番近い人が一番大事ですな。それ以外はマジでどうでもいい。いや知らないっしょマジで。

そんなもん俺の仕事じゃないよ。世間って世の間と書きますね。間なんすよね。これ実体があるようでないんすよ。マジでない。蜃気楼のような化け物のようなラマンチャの男で言えば風車のようなもの。

だから気にするな(笑)

そして今日も僕は現在地を確認するようにブログを書いているのであります。文字や言葉を盲信してはいないが、仕方ないのよこれがないと溺れちゃうんす無意識の海に。