私の名前は直美。生まれは深川市、旭川から少し離れた街。私の母は看護士をしていて私を一人で育てくれた。
私が中学二年の時に旭川の病院で働くことになり、私も旭川の学校に転校してきた。
私はあまり人と話すことが苦手。自分では大人しい性格だと思っている。けど叔父さんは「お母さんに似てキカナイね」と口癖のようにいつも言う。自分では違うと思ってるけど不思議と嬉かった。
私は母を尊敬してるし、大好きだから。
アパートは築40年で古い、床はいたるとこでギーギーと音をたてる、一人で遊ぶことが大好きな私は地雷ゲームと名付け音をならさないようにそっと足を運んだり、近くの常磐公園を散歩したり、ボートに乗ってはしゃいでいる人達をベンチに座って眺めたり、石狩川の河川敷まで足を運んで旭橋を眺めたり。みんなと一緒に遊んだり騒いだりしたいようなしたくないような。イジメにあっているわけじゃないけど、ただグループに属することができないの。
母の帰りは遅かったり、夜勤だったり、とにかく一人でいることが多くてだんだんと一人でいることが好きになっていた。
クラスのみんなは化粧をしたり学校の帰りは社会人の男の人に車で迎えに来てもらってる人とかもいたけど、興味はなかった。
でも、暇をもて余していた私は母の為にというか生活の為にというかバイトをしたいと母に訴えたが、母は決して許してはくれなかった。お金がいるならと言ってお小遣いを増やしてくれた。それは私の望んでいることではないけど母に何を言ってもキカナイし、母を怒らせたくなかったからそのまま承諾する。
けど、ぜんぜん嬉しくはなかった。私には買いたい化粧品もないし、服は母と買い物にいくと必ず買ってくれるからお金とか何のためにあるのかわからなくなる。
母には面と向かっては恥ずかしくて言えないけど、いつも仕事が終わると早く帰ってきて私を一人にさせない、なんでも相談に乗ってくれて、側にいてくれる、そんな母のことを心から尊敬するし、やっぱり大好き。
そんな私が母と同じ看護士になりたいと思うのはごくごく自然な流れだった。
はじめて母と進路の話をした時、凄く険しい顔になって沈黙が続いた。私は沈黙には慣れていたからずーと母の顔を見つめていたら、母が口を開いた。
「半端な気持ちじゃ勤まらないからね」
私は凄く嬉かった。それは母流のイエスだ。母は急にニコっとして「ラーメン食べにいこっ」と言うと。化粧台の前に正座した。
化粧をしながら口をいつもの半分しか開けずにフンフンと小言をいっている、私はぜんぜん聞いていなかった。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
「ねえ、お母さん化粧教えてよ」
その日、私は生まれてはじめて化粧をした。
それは不思議な感覚だった。ずっと意識していなかった私の中にある何かが音をたてて動いたような気がして少し怖くなる。
理解できなかったクラスの子達の気持ちもわかったような気がした、けど一番強く思ったのは化粧台の鏡に映る母の顔が凄く綺麗だということ。
その日から母とデートすることが多くなった、お店の人に「姉妹ですか?」とお世辞とわかっていても母はすごく喜んでいた。
母は若くして私を産んでくれたから本当に姉妹と思う人も多いと思う。
だから友達がいなくてもぜんぜん平気だった。続く。
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