2018年10月8日月曜日

フジファブリック今さらだけどいいよね

久しぶりのぶりぶりに書きます。

なんか最近はいろんなことがありすぎて、地震とか台風とか地震とか台風とか。

ツッコミはじめるとキリがない案件だらけ、こんな時は自分が勝手にいいと思うものの事を考えるのが1番、精神衛生上よろしいかとオモフのでありまする。

フジファブリックを知ったのはこれまたドラマ「モテキ」であります。大根監督の素晴らしさは語る必要はありませんが、最も尊敬する部分は音楽センスであります。売れている売れていないに関わらず監督本人がいい!絶対にいい!と思う作品を次々採用しているところ。

モテキのサントラは素晴らしいとしかいえません。

これと言ったジャンルに偏ることなく、このシーンはこの曲しかないでしょ!っといったベストな選曲。

今や物だけでなく音楽も情報も溢れかえる世の中。大事になってくるのは選ぶ力ではないでしょうか。

その中にありました、フジファブリック。なんとオープニング曲です。

「夜明けのビート」

PV では主演の森山未来君がバレエダンスで鍛えた体幹を武器にアーティスティックに暴れまくります。これがまたヤバイ。激しい前奏から拍子抜けするぐらいやる気のない声。

これです、これなんです。フジファブリックの良さはボーカル志村のまるでフォークボールのような落ちる声なんす。

たいていの人はバットを振ってもかすりもしないぐらい落ちます。

ただこれが癖になると抜けられない声なんす。

すべての声は響かなくてはいけないなんてルールはありません。流暢な喋りの営業トークより吃りながら必死で訴えるトークのほうに心をうたれるなんてことはよくあることです。

入り口は「夜明けのビート」でしたが、そのうち調べていると次の4曲をひたすらリピートして毎日のように聴いてます。ちゃんと聴く順番まであります。

まずは「赤黄色の金木犀」つぎに「陽炎」つぎに「茜色の夕日」つぎに「若者のすべて」

この順番は必ず守って頂きたいw

とこだわりをみせつつ、これら以外の曲はほとんど聴いてません。ファンの方すいません。いい曲があれば教えて下さい。聴くかどうかはわかりませんがw

この4曲はいずれも「若者」それも「少年」にスポットをあてて描いている。

その証拠にPV では必ず少し綺麗めで少年には手の届かなそうな女の子が出てきます。

そしてフジファブリックの曲のさいだいの特徴は「何にも訴えない」ところ。

これがヤバイんす旦那。

普通、バンドやってたら訴えたくなるじゃないですか、「あーしよう」「こーおもおう」「これ大事にしよう」「今の社会壊そう」とか、普通はなるんす。

なーーーーーーーんにも訴えないw

ただただ、少年時代の思い出の輪郭、それもうすらぼんやりあるかないかわからない感じのふんわりとした状況だけひたすら歌うんす。ふわっふわのゆるゆるな状況を。

いっさい手を伸ばしてこない、ただそれが信じられないぐらいこちらを惹き付けるのです。

よくありがちな「愛」とか「好き」とか「懐かしい」とか「渇いた」とか分かりやすいワードいっさい出てきません。

いや別にカンとか大事万ブラザーズを否定している訳ではないですけど、この辺が何度もリピートして聴いてしまう要因じゃないかなとも思うんです。

少年の状況をひたすら歌われると何故だかあの頃のいい思い出がよみがえってくるようなこないような、せつないような、なんとも言葉にできない感情になるんすよ旦那。

4番目に聴いている「若者のすべて」はそれまでの曲を総括したような名曲であります。まあ、これも訴えない訴えないwww

僕がフジファブリックを知った時には既にボーカルの志村さんは亡くなっていました。自殺だそうです。

そのへんの詳しい内容はNHK でやってました。

命を削って書いていたであろうこの何も訴えない曲を僕は毎日のように聴いています。

2018年5月24日木曜日

日大アメフトの問題から見る日本

久しぶりです。

いやあ、それにしてもよく燃えておりますなあ。

今回の日大アメフト反則タックル事件からいろいろと見えてくるものがあったのでちょっと書きます。

まず、今回の問題は少しわけて考えてみるとよりわかりやすいように感じます。

先日選手自ら記者会見を開くという凄いことが起きたのですが、世間様の反応は大変よく、選手というか生徒さんの株は急上昇したと見ています。

ただ僕が思うに、謝罪した事は立派な事なんですが反則タックルをしたことに関してどうも理解できません。

コンタクトプレーがあるスポーツ(サッカーとか)をやったことがある人なら誰でも聞いたことがある「潰せ」という言葉は何十年も前から存在していて、これを聞いた選手はどうやってフィールドでふるまってきたかと言えばルールの範囲以内で激しくプレーしてきた訳です。

いくら監督やコーチにいろいろな指事を受けていたとしても選手は自ら考えプレーするんですよ。監督とそりが会わなくて辞めたとか、才能豊かな選手がそれこそ潰れたなんて話しは星の数ほどあって、何もスポーツに限った話しではありません。企業でもそうでしょう。だからいい監督とかいい上司やいい企業との出会いが重要度を増すんです。

反則をしてでもいいからタックルしてこいと言う指事が仮にあったとしても僕だったらしないですよ。じゃあ監督が包丁で相手選手を刺してこい!なんて言ったら刺すんですか?

人を刺した後に謝るとか理解できますか?ないでしょうよ。やってはいけないことは、やってはいけないんです。どんな理由であれ。

仮にパワハラ的な事があったのなら反則タックルをするのではなく「パワハラ」があったと騒ぐべきでしたね。まあ、それも考えにくい状況ですが。

とにかくダメなものはダメなんす。

ほんで次に見えてきたのはマスコミのやり方です。

これはマスコミとして当然の形なのですが、マスコミの役割には権力に対しての監視があります。なので現政権に対する連日の報道は当たり前なんすね。

被害者が出た以上、いくら選手がしたこととは言え責任問題になりますから監督やコーチも責められますわなあ。だから辞任とかなんやかんやになってます。ただ権力側なのでそりゃグイグイ追い込むわけです。

その中で選手も被害者とする形をとればより権力側を追い込めるので、絶対この形にハメますわなあ。

さっきもいいましたがここには賛同できない。

ほんで権力側の監督やコーチ。これは簡単、屑です。

これらの上にネット社会が重なると今回の炎上がよくわかる。

ネット社会では今まで発言すら許されなかった人達の声が聞けるようになった事で多くのプチ革命なるものが産まれてきました。泣き寝入りしていたケースでも発言することで打開される事が増えたわけです。

少し前のレスリングのパワハラ問題も重ねるとまたわかりやすいのですが。部活とか狭い組織の中では、ずっと長い間、選手の立場は低かったんですね。立場が低いというのは極端に言えば人権がないみたいなもんですな。低い立場の人により多くの人が属していますから当然少ない権力側に対して騒ぐわけです。今回のように。

今時、巨人の星でもあるまいしいつまで根性論でスポーツをしているのかなあと思いますよ。

あのPL でゴリゴリに鍛えられた元巨人のレジェンド桑田さんも言ってましたよね「暴力は絶対にいけません、暴力で指導するやり方をする指導者は選手に論理的に説明し納得させることができないんです。」

物凄く丁寧に言ってますが、要約すればバカな指導者ほど暴力を振るうってことです。

暴力を権力に置き換えれば、だいたいの構造的、組織的問題はどこからきているのはわかるでしょう。

バカな上司とバカな会社、バカな政治家なんすよね。

2018年4月2日月曜日

保育士の子供ができてすいませんブログを読んで

読みました。

丁寧に簡潔に書かれていて書いた人の人柄もうかがえる素晴らしいブログだと思い、感想とともにいろいろ思うところを書いてみます。

この「子供ができてすいません」というフレーズを読んだとき、すかさず思い出したのが太宰の「生まれて、すいません」という文章だ。

太宰の文章は太宰という人が有名になりすぎている分、太宰だから仕方ない的な処理をされてしまうかもしれないが、無名の一般人のかたが書いた「子供ができてすいません」は、よりソフトな分、余計に社会の闇が深いと感じてしまう。

ブログの内容は簡単にまとめると、保育士の妻が妊娠したため職場に報告する時に夫が一緒に頭を下げに行ったということと、その後妻に他の保育士から嫌味や嫌がらせ的な事を言われたという内容。

保育士の人数が少ないこともあり、妊娠された場合に仕事の割り振りが大変になるため、中には園長が妊娠する順番を決めるなんて話しもあるらしい。

アホか?

いや間違いなくアホだろ。

このようなピンポイントでの局地的な話しではなく全体的な社会の闇を養老先生が著書でうまく表現されていた。

「現代社会とは一言で表すと、都会化なんですよ、別の言い方で脳化、もっと簡単に言えば人工化なんです。だから都会化が進めば真っ先になくなる排除されるのが自然なんです。だって自然は人工物じゃないでしょ。その自然の中には子供たちも含まれます。子供が泣いたり騒いだりするのは自然なんです。」

街でお母さんがよく子供に注意している姿を見かける。「静かにしなさい!」電車の中でもそう。

カナダの電車の中はどんなに走り回ろうが騒ごうが誰も何も言ってませんでしたけどね。むしろ微笑ましい顔で子供たちを見守ってましたよ。

もしかしたら自然の多いカナダでは子供も自然ということを無意識的に受け入れているのかもしれません。

それが日本では許されないのでしょうか?

松本人志がtwitter で、つぶやいた電車の中で子供がうるさいときにその親に腹が立つと言ってかなり共感された時にすかさずブログで批判しましたが、なんら変化もなく日本の都会化はますます進んでいるのです。

日本では子供に、はやく大人になりなさいと教えます。ようは自然のままでいるなと、はやく大人になってはやく管理しやすい人工物になれと。

そりゃ社畜も増えるわ、自殺者も増えるわ、鬱も増えるて。当たり前すぎる。

子供から大人になっても人間は人間であり人工物じゃねえし、子供から大人になっても、男なら体のなかに男の子、女なら女の子の自分が生き続けてるもんなんすよ。なにもワガママになれとは言わないが、自分の中には男の子が今もいると認識することで電車の中で他の子供が騒ごうがそんなに腹を立てることは無くなります。どっちが子供かって話しっす。

子供ができてすいませんなんてとても健全な社会ではないでしょ、病気ですよ、社会全体が病気なんです。

訂正、ブログではなく毎日新聞の投書でした。さーせん。

2018年1月19日金曜日

小室さんが引退した。

有名人であることのリスクが顕著に現れているような気がする。

少しだけまえに、成宮さんと江角さんはタレント活動を引退された。そのあたりから少しづつ、うっすらと「今のご時世、有名であることがメリットだけの時代からリスクが上回ってきているのかな?」と感じていたのだ。

小室さんが引退された。

僕は小室さんファンではないと思う、CDなんて1枚も買ったことはない。
他のアーティストのCDもたいして買ったことはないが。

ただ「この曲は知ってる、小室さんの曲だ」という認識は世間一般と、そんなにズレてはいない。

それだけ彼の曲は売れたのだ。

売れたのは何故か?

それは彼の曲が良かったからに他ならない。

彼の曲を耳にした人が心地よさを感じ、カッコいいと感じ、何かを直感的に刺激されたからに違いない。

とにかく売れたのだ。

僕は音楽評論家でもないし、プロのミュージシャンでもない。いち庶民として小室音楽をなんとなく聞かさせれたオッサンだ。

彼は不倫を報道された後の記者会見で引退することを発表した。

僕はその様子をyou tube で観た。

最後まで観ることはできなかった。

いたたまれなさと、そこまで言わないといけないのかと、気の毒になって動画を止めた。

冒頭の謝罪から、奥様の病気をお話しされているアタリからもう観てはいけない気がしたのだ。

そこまでファンではない自分だからすぐ動画を止めれたと思う。

知りたいという欲求はそもそも生まれない。

高級料亭に出てくる、きらびやかなコース料理がどうやって造られているかなんて客には関係ないのだ。

目の前に出された料理を食べて、「うまい」と思うか「まずい」と思うかしかないないと思っているからだ。

知らなくていいことは世の中には沢山あるように思う。結果「うまい」か「まずか」だけで。

彼の曲は「うまかった」。

最近小室さんの活動をどうかと言われると疑問だ。どんな曲を出していたかもわからないレベルである。

そんな中の報道と引退である。

ツィッターや掲示板では「文春」や「ワイドショー」が的となって叩かれているが、なんとなく腑に落ちない感じだ。

「文春」や「ワイドショー」が悪なのか、それらからの情報を望む人達が悪なか?そこらへんはとうていわかりっこないと思うのだ。

週刊紙やワイドショーが狙うネタは世間が反応するかどうかで決まると思う。

「あの有名な人が実は、、、とかあの有名好感度抜群タレントは実は、、、」といった具合に、ギャップがあればあるだけ記事は売れるのかもしれない。

それを証拠にあれだけ浮気しまくっていると公言しているビートたけし殿は全くもって報道されないし、たとえ報道されたとしても、売れないのである。

イメージや好感度、又は有名であるかどうかはこれらの事案の行方を大きく左右する。

前科がある彼のイメージは手放しに言いとは言えないが、音楽的には間違いなく天才だと言えるので彼のそのイメージは残念ながらマイナスに働いたのである。

文春やワイドショーは仕事をしたまでで、それをどう思うかは自由だ。

「そんな下らない記事でひとりの天才を殺した」的な文章をよくみるが、んー、あまり賛同できない。

天才であるという部分は否定しない、天才だと僕も思う、「殺した」に引っ掛かる。

「殺した」という表現が当てはまるのなら、彼が音楽家として生きていけないようになることをのぞんで、そうなるように仕向けたか、あからさまな妨害行為があった上で「殺した」と表現するのが妥当ではないのか。

特別に何かのゴールを想定して造られた記事ではないと思うし、ありのままをありのままに報道した結果が今なのではないと勝手に思っている。

だからこそ、彼は「引退」の2文字を口にしたのではなかろうか?

彼が「引退」を決意するのと、「一連の報道が」直接リンクすることなく、きっかけとしてだけの事のように思えるのだ。

だから「ひとりの天才を殺した」という表現に違和感を覚える。

平成はもうじき終わる。時代は進むのである。最近は西暦表示が多いからあまり関係ないと感じるかもしれないが「平成」が終わるというのは凄い時代の転換期だと思っている。

小室が引退する、安室も引退する。

時代が変わろうとしているのだ。