2016年4月6日水曜日

トラビス

映画タクシードライバーの主人公トラビスならあの警官を拳銃で撃ったりするのだろうか?

セッチャンが国に帰ってからポッカリ空いた穴を僕は本ではなく映画で埋めるようになっていた。5~6タイトルを借りてきては返しにいき、その時にまた借りてしまうという無限ループをハムスターのように走っていた。

さんざん有名になってしまったデニーロ作品を観てからのタクシードライバーという流れ、当時リアルタイムで観ていた人達からみれば今の映画を眉をひそめてみる気持ちが痛いほどわかった。

文句のつけようがない演技に気持ち悪さまで感じた。トラビスはベトナム戦争帰りの退役軍人、完全な狂人というわけでもなく常人でもない不気味な狂気加減を絶妙な演技で表現していてデニーロという役者が世界的俳優になったのを裏付けるには十分すぎる映画だ。

友達には若い若いジョディフォスターが娼婦役で出ているよと紹介すると鼻息を荒くして借りに行き感想を聞いてもみなジョディフォスターが可愛いかったしか言わないのが少し寂しかった。

前後何があったかはまったくわからないけど警官がホームレスを警棒で殴り続けるというシーンを映画ではなく自分の眼でみるという現実はしばらく脳の特別区域に納められ、セッチャンとラインで話した後も考えずにはいられない。

トラビスなら警官を銃で撃っていたかもしれない。

差別はいけない、暴力反対、戦争反対という教育にどっぷりとつかり、日本というまるで無菌室のような国にいてそれらの綺麗事が紙の上だけの話しかもしれないと体感したのだ。あの状況であの警官を止められるのはあの警官を越える狂気が必要だと思った。

あの時の正義とはなんだったのか、なんの力も狂気もない自分にできる最大の正義は無傷でその場をやり過ごす以外にあったのだろうか。

どこまでも甘いドーナッツと不味いコーヒーの香りが朝を知らせる。

寝れなかった。変な興奮と無力感になんだか疲れた。

サンフランシコとロサンゼルスの有名観光スポットをだいたいおさえるとツアーも無事に終わり、帰国した。

家につくと全身の筋肉が緩んだ。

青いとりは家にいるのだと旅に出ると体感する。

母は目の下に隈をつくり白髪も少し増えていてなんだか申し訳ない。おみやげ話をすると「ほらやっぱり日本が一番でしょ」と言われ「そうだね」と返しておいた。でも内心は違った。あの独特の緊張感は日本では絶対に味わえない。ある一定の不安や危険が逆に今、自分は生きていると気づかせてくれたのだ。

でもそれは狂気の麻薬的入り口かもしれない。だんだんとそれを求めていけば、より危険に危険にと頭が求めていって、最終的に中毒になる。母は直観で言っている、でもそれは当たっているかもしれない。

ただ僕はこの経験から前より増してあらゆるものを疑う気持ちが強くなった。

自分の目や耳や鼻や手で感じてみないとわからない、そう思った。

まったく通用しなかった英語もその気持ちに追い討ちをかけ、あれだけ長い時間義務教育で教えられた英語がなんの役にもたたなかった現実に怒りにも似た感情が芽生え学校を辞めたくなった。

ただ母との約束があって、オーストラリアに行きたいと話すと交換条件で高校だけは卒業してというもの。だから辞めるわけにはいかなかったが授業はまともに受ける気になれない。

コンビニのバイトをしながら資金を貯め
、オーストラリア大使館に手紙を書いてビザの申請書も送ってもらう。

なんとか高校を卒業するといよいよセッチャンのいるオーストラリアにいく日がきた。

人々の期待と不安が空港には溢れている。特に国際線ターミナルはそうだ。僕の期待と不安も計り知れない。気が触れてしまうぐらい興奮して搭乗ゲートを抜けてからビールを3杯も飲んでしまった。

出発時間も近づいて最後のトイレ、僕は大きい鏡の前で人差し指を自分に向けて銃を撃つポーズをしていた、まるでトラビスのように。続く。

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