コンビニ要塞もなかなか仕上がってきた。バックヤードの冷凍庫は改造し、切り方もわからない豚肉まるごと吊るしてみるとまるでゾンビ映画によるある光景だが、残念ながらゾンビすら出てこない。
このところ毎朝、日の出をみるのが日課になっていた。
古代人が太陽信仰していたという話しは多分本当だろう。
専門書を取りに行った図書館で、何故か手に取ってしまった哲学書や宗教書。
時間が許す限りなんて言葉が虚しいほど時間は有り余っていたので思いのまま読みあさった。
海外に出てはじめて日本の良さがわかるように、人がいなくなってはじめてわかることがある。
お金の意味もそのひとつだ。
お金のいらない生活は想像を絶するほど辛いものだった。お金を稼ぐことが大変で辛いと思って働いてきたが、そのお金が必要なくなると楽になるのかもと勘違いしてきたのだ。
発電機を運ぶのに腰を痛め、手は傷だらけ、お金さえ払えば簡単に終わるものを全部ひとりでやらなくてはいけない。
お金なら死ぬほどある、コンビニの隣にある銀行にたんまりある。しかし、なんの意味もない。
人がいてはじめてお金はお金に成りうるのである。
その人にさえ僕は嫌気がさすことが多かった。みんないなくなればいいなんて思ったこともある。上司の嫌味や彼女との喧嘩、取引先での嫌がらせ、先輩からのいじめ、ただ今はそんな嫌で嫌で仕方なかったあの頃を愛しく思うのである。
嫌なものでも関係してるということ、自分が誰かと繋がっている感覚を取り戻したい一心で、何かヒントがないかと本を読みあさった。
周りの家は不思議と早く傷んでいった。空き家は不思議とすぐ腐る。多分人が住んでいるかいないかがその家を家にしてくれるかどうかの分かれ道なのだろう。
僕はふと手の甲にある痣(あざ)をさすった。生まれつきあるこの痣に何か意味を持たせるように優しく撫でた。本をたたみ、コンビニ要塞に戻る。
途中夕日を眺めながら車を走らせた。うっすら雲がかかり絶妙な色で燃える太陽はしばらく追ってくる。ビニール袋が宙にまった。ふわふわとビニール袋が漂う様子に見とれながらアメリカンビューティーのワンシーンを思い出していた。それは今まで見たこともない美しい光景でこの酷い現実から僕を救ってくれそうな感じすらする。
真っ白な建物の門をくぐると婦長さんが頭を下げた。私も慌てて頭を下げる。ゆっくりと歩きながら説明を受けているうちに担当する患者さんの病室についた。「あなたに担当してもらう田中さんよろしくね」
車椅子にのった色白の若い男性が影からゆっくりとこちらに近づいてくる、、タイヤを回す左手の甲に大きな痣があった。
おわり。
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