2015年9月6日日曜日

バカな俺

国会前でデモをするのは馬鹿だ的な事をよく目にする。
なんにも知らない癖にとか、twitterは馬鹿発見器なる別名まである。

んー。ひとつ思うところがあるから書いとく。

僕は自分のことを真剣に馬鹿だと思っているから馬鹿だと言われても「はい馬鹿です」としか言えない。なので誰に何を言われても「おかしい」と思うことは「おかしい」と言うし、「そのとおりだな」と思うことは「そのとおり」と言うのだ。

幸いこの国では馬鹿は発言してはいけないという法律がない。良かった。本当に良かった。発言できるのだ。

馬鹿という言葉に萎縮する必要はまったくないと思っている。何故ならみんな馬鹿だからだ。

お前のような馬鹿と一緒にするな馬鹿野郎みたいに思われる人もいるかもしれない。しかし、真顔で一緒ですよと言ってやる。みないつかは死ぬからね。何をどう賢く生きようが何をどう不器用に生きようが最後は一緒というのはなんと素敵な救いだろうか。

しかし、何をどう生きても一緒なら悪いことでもなんでもやればいいという事ではない。

いまのところ脳科学的には行動を抑制する力は確認されているらしい。逆に行動をおこすという部分の力は謎になっているらしいのだ。

だから宗教では昔から戒律があるのだという。抑制する力を科学的に確認されたのは最近なのに昔の人は偉いもので○○してはいけない、と何個も考えたんだね。

モーゼの十戒とか、掟とか、しきたりとか、ルールとか

今なら法律の原形とでも言いますか。

以前働いていた会社の社長が会議で「会社とはなんだ?」という質問を我々社員にぶつけてきたことを強烈に覚えている。皆さんにとってはいろんな答えあると思います。そのどれもが正解だと思うのですが、その時社長が出した答えは「人間の集まり」でした。

間違いじゃないよね。まあ、一人で会社やってる人もいるけど、それでも人間がそこに居るということには変わりない。人間のいない家族はないし、人間のいない会社もないし、人間のいない国家はないのだ。

人の集まりということはこの国の総人口のうちどれくらいの馬鹿がいると思いますか?何をもって馬鹿というかの基準があれば分かりやすいがあいにくないので難しい。馬鹿な僕が勝手に想像するに98%ぐらいは馬鹿なんじゃないかなあって思うんす。

だって自分のことろくに分からないでしょ。

分からなくて当たり前なんですけど。

だからインターネットの世界って凄いなあと思うんですよ。その沢山の馬鹿が馬鹿なりに発言することを許してくれたんです。

素晴らしい事だと思いますよ。以前まではテレビに出てる人か政治家しかなかった発言権が私のような一般国民にも実質的に与えられたのですから。

バカ万歳であります。バカを強烈に肯定してくれた赤塚不二夫先生。先生なら今の状況をどう考えるか気になってしまう。先生は幼いときにお父さんがシベリアに抑留され、母親と子供達だけで田舎に逃げてくるという壮絶な人生のスタート。母の実家に着くなり一番下の幼子が30分後に亡くなったらしい。

先生は番組の取材で当時住んでいた家の前で「母親と子供達がここに着いて30分後に一番下の幼子が亡くなったんだけど、次の日から母親は働かないと生きていけなかったから」と間をかなりとったあと「あの子は親孝行したんだと思う」と言った。

その解釈しかないのだと僕は感じた。それと同時にその解釈しかできなかった当時の世の中の異常さを呪った。

バカの敵は天才でもなく同じバカでもなく戦争という異常な状態だと思う。

戦争というのは結婚にも近いところがあって時間をかけるとなかなかできないものだ。勢いというか一瞬の瞬発力でもって一気に巻き込み、振り返るといつのまにかなっていたという感じだ。

だから今のうちからデモをしたりオカシイと思うことをオカシイと表現しているのではないか?勿論、戦争法案なんて言葉を鵜呑みにしてる訳ではない、デモをしてる人達も自民も戦争をしないためという目的は一緒。その考え方が違うというのはバカなりに理解しているつもりだ。

先生はなんて言ってもらえるか分からない、けどきっと「それでいいのだ」の後に「これでいいのだ」とバカに救いを与えてくれるんじゃないかと思ってる。

これでいいのだ。

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