2015年5月29日金曜日

父とのおもひで

私には尊敬する人がいる。それは父と母だ。両親と書きたくなかった。それはセットで語れるものではないと思っているからと、この二人の個性が強烈すぎて両親という言葉におさまらないからだ。

今回は父だけ語る。

父との思い出は映像が先にくる。

父の父、つまりお爺ちゃんが亡くなった時、私はまだ低学年で通夜から葬式にかけてずっと父の側にいた。

なんとなく悲しくて笑ってはイケない空気ぐらいどんなに馬鹿な私でも読めていたが、父はドッカンドッカンと人を笑わせていてその光景を今でも思い出す。

子供ながらに「この人なんかすげーな」と感じていた。悲しいはずの通夜や葬式が、私には楽しくて仕方ない場所へと変化していく様は不謹慎と言う言葉が申し訳なさそうに小さくなるようでもあった。

人が死ぬと人が集まる。まるでカラスの仲間が死んだときに大量のカラスが集まるように。

みな、暗い面持ちで故人を偲びにきている。そこに、故人の息子である父が大暴れして笑いをとっている光景が異様に映ったと同時に「なんかカッコイイ」と感じてしまった。

それは笑ってはイケない空気が笑いの悪魔を呼び寄せる法則にのりそこにつけこんで笑いを取りに行くような卑しい芸人とはまったく違う、正しい笑いがそこにあったような気さえする。

途中からあまりにウケるので本人も調子に乗り酒の力もあいまって、誰も止められない感じになっていった。

周りの人は通夜に来たのかお笑いライヴに来たのかはわからなくなるまで笑っていた映像が頭にこびりついている。

あの時の父は最高だった。

通夜が終わり、葬式に。最後の最後で父は声を出して泣いていた。それまでのハイテンションが嘘のようにオロオロと子供のように泣いていた。

実際、子供だし(笑)

父は父なりに抵抗していたんだなと今となって思うことがある。

父方のお爺ちゃんは、昨日までぜんぜん元気で夜寝て朝起きないでそのまま亡くなっていたのだ。突然も突然で、バタバタと忙しく通夜の準備をして、ワラワラと人が集まってくる。落ち着いてこの事実を受け止める余裕も時間もなかったのだ。

最後の最後で見せた涙が全てを教えてくれる。それが本当の涙であることは低学年の私にもわかった。

この映像が終わると、何故か子供のころよく一緒に行った近所の銭湯の映像がよみがえる。

家にお風呂がついたのはかなり後になってから、低学年の頃は家にお風呂がなかったのだ。なんて昭和なんだ(笑)

歩いて3分でつく本当に近所にその銭湯はあった。「時間ですよ~」というドラマがあったが、まさにあの銭湯と変わらない教科書どおりの銭湯。

公衆浴場なので子供には少し熱い設定、そのため父は湯船の端にある大きい蛇口から水を勢いよく出してぬるくしてくれた。その水を他の客が止めようもんなら喧嘩して、水を出してくれた(笑)

僕はその湯船に入り、ゆらゆらと揺れる水面に映る照明の光が一緒にゆらゆら揺れる光景をぼーと眺めている。なんて美しい光景なんだと揺れる光を見て感じていた。

今までいろんな土地に住んできた。日本だけで7箇所、海外も入れると9箇所だ。当然、いろんな観光地にも行ったし、添乗員のバイトまでしたことがある。

しかし、あの銭湯の揺れる光を越える美しい光景に出会った試しがない。

ニーチェはこう言っている。

「事実は存在しない。存在するのは解釈だけである。」

これは哲学で、深すぎて泣けてくるのだが、客観的事実なんてものはそもそも存在してないとする斬新な言葉で、認識論とか存在論につながる言葉だが、なんかわかるんだよなあ、これ。

まったく人間のいない地球では、言葉もなにもない、だから地動説だろうが天動説だろうが関係ないってことなんだよね。だから言葉を使って生きていくということでいくとそこにあるのはその人間それぞれの解釈だけ。

ニーチェは他に「神は死んだ」なんて強烈な言葉と共にキリスト教批判を展開し大変なことになるんだけど、彼は新たな生の肯定を死ぬ気で考えた人だったんだよね。

それまでの常識を一回壊して、どうすれば宗教抜きに生を肯定できるか考えたんだ。

だからニーチェは芸術を推すんだよね、芸術こそ人間の生を肯定してくれると。

私が父の息子という事実より僕が父から何を感じたかの解釈が大事で、あってるとか間違ってるなんて細かいことはどうでもよくなってくる。

父は自身の死に際でも人を笑わせていた。お笑い芸人でもないのに。

父はどこでもそうしてきたのだと、父の葬儀の時にわかったは参列者の数だ。どこぞの社長が死んだわけでもないが、ワラワラと人が押し寄せた。

なんの見返りも求めず、ただひたすらに奉仕の精神で身近な人に笑いを配って生きてきた父を尊敬せざるを得ない。

「まあ、みんな大変だけどとりあえず笑っていこうよ、アハハ」と今にも言い出しそうな父は私の頭で笑いながら今でも生きているのである。

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