2015年3月4日水曜日

認めること褒めること

どうもでした。

相変わらず読みにくい何言ってるかわからない記事を書いているワタケンです。

今日は認めること褒めることについて書きます。

これは日々実践していることで、営業時代に身に付いた財産だと思ってます。

簡単そうに見えてなかなかできないし、できてない方が多いなあと思う。

まあ、しなくてもいいかもね(笑)

僕は自分がよく見られたいからとかお世辞で「褒める」ことを言っているわけではありません。

自分の目や耳や頭で感じた「いい」を言葉にして伝えているだけです。

なかなか人は声にして言わないんですよね、だから「いいね」をface book ではボタンにしちゃった(笑)

なんだかなあと思う。

言えよって思うんすよね。

同じように否定も大事だと思いますね、そこは違うと思うとか。

言わないでしょ?直で。

Twitter なんかにポエムやぼやきみたいに、「嫌だよねえこういう人」みたいに間接フリーキックを蹴って、言わなくてもわかれよ的な同調圧力や空気読めよサインばかり。

僕からみれば「普通に直で言えば?」ってなる。

怖いのかな?嫌われたくないのか?嫌な人扱いが嫌?

それと同様に褒めたり認めたりも本当に少ない。

リツィートとかファボとかもコミニケーションボタンとして有効だと思いますが、これも同様に「言えば?」とも思うのであります。

恥ずかしい?認めるけどどっか認めたくない?ストーカーと思われたくない?www

まあ、直で否定をするのはそれなりの力(多くの知識と読解力)が必要で、それなしにヒステリックに書いてるのをクソリプといいますね。

だから否定はそれなりに難しいんだ。

でも肯定は「なんかいい」だけでいいし、特に必要とされる特別な能力はいらないでしょ。

しかもこの「褒める、認める」ということはその人に計り知れない力を与えるということは事実だ。

僕の高校時代の友達が卒業してある会社で働いていた社会人1年目の頃、飲み会があり高校時代の友達みんな集まった。

みんなが社会人1年目の頃、ぼくは「放浪記」で書いたようにカナダから帰国したばかり。

その温度差は想像以上にあった。

みんなは仕事に疲れ「いやあ、会社に戻りたくない」や「仕事辞めたい」を連呼していて、なんだかなあっと嫌な流れになってきたので「辞めればいいじゃん」と言ってしまい(笑)

ある友達が「みんな辞めたくても辞めれないから言ってんだよ、それは酷だよ」と怒られた。

その後何故そんな事を言ったのかをグダグダ説明したが、みんなは聞いてはいなかったと思う。

多分おまえは変わってるからとか思われたかもしれない。

ただ一人真剣に相談してきた友達がいて、夢があると言ってきた。僕はむちゃくちゃ真剣に彼の話しを聞いた。そして、彼の能力、彼の才能をありったけの言葉で説明し、何度もブログで書いている「ピッチャーの仕事の話し」をした。

また、書いておく。

ピッチャーの仕事はボールを投げること。ボールが指先から離れる瞬間まで集中すること。ボールが指先から離れたらあとは他人の仕事なんだ。

だから自分がやりたいことやりなよ、不安はあると思うけど最初から自分で自分を評価して「俺なんかにできるかな」なんて決めるなと。

現に今、審判として俺はお前の能力を認めてストライクと判定しているんだ。やってみなよ。

その後、彼はガチで会社を辞め、東京にあるCGの専門学校に入り、卒業する頃にはその学校のパンフの表紙にのるような人間になったのだ。彼は成功した。

何年かたって彼と再会することがあり、物凄く感謝された。「あの時言ってくれて良かった」と。

俺のほうが嬉しいよ(笑)

確かに無責任な発言かもしれない、結果として彼は成功したから、そうじゃない場合は俺にも責任があるかもね。けどなんにも誰からも言われなくてその才能を無駄にするとこだったと考えたらどうだろうか?

そいつが一生愚痴を言ってやりたくもない会社に居続ける結果のほうが俺は恐いと思うんだが。

ビートたけしも淀川長治さんから映画を評価してもらったことが一番嬉かったし、映画が売れなくてもつくり続けられたのは淀川さんの言葉のおかげと言っている。

褒めること認めることはその人を勇気づけたり支えたり背中を押してあげる凄く強い力があると思います。

だから僕は、また誰かを認めるし褒め続けるであります。

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