2016年5月5日木曜日

僕が思う美人

美人と書いてあるとみな勝手に自分の中の美人を想像する。

僕の大好きな岡本太郎さんの講演がyou tube にあったので聞いたら、「美しいと綺麗は違う」と言っていた箇所がある。まったくもってその通りだ。

綺麗な人ってのはその時代にあったモテル人だ。実につまらない。なんの魅力も僕は感じないのだ。勿論、顔で判断するなと言われたらその通りだ。しかし、モテル人は中々みずからの内側を深く掘り下げるような状態になりづらい。ようは周りがほっとかないからだ。だからつまらない人確率が高いのである。

だから綺麗な人をみんなで綺麗だ綺麗だと言ってそれを商売にしている世界があったりそれを支えている多くの一般ピーポーもなんとなくアホらしくみえる。

だって室町時代の綺麗な人は今の綺麗な人にはならんでしょ。

相対的な綺麗とか格好いいってしょーもないよな。そんなことに気をとられて大事な人生の時間をロスしたり、悩んだり病んだりってホンマにアホらしい。

綺麗になりたいとか思う気持ちまでは否定しないが、本当の美人とはなんなのかぐらいは自分の中で捉えて欲しいとは思うのだ。

アメリカでは十代の女の子が「am I ugly ?」(私ってキモイ?)というタイトルでyou tube にアップしてるらしく、かなりの人数がそうしてるみたいだ。

学校で男の子に言われたとか、自分の顔に自信がない女の子や、逆に自信がある人があえてのせたりと様々だが、なんだかなあと思う。

だから綺麗になりたいって人に綺麗の奴隷になって欲しくないのだ。綺麗ってのはつまらないのだ。

僕の中の美人とは美しい人ってのはいろんな条件がある。まず強い人。自分の中に基準やルールがしっかりある人。自分に自信がある人(顔面にじゃなくてな)。

堂々と生きている人は美しい。

堂々としてる富士山を美しいと思わない人はいつの時代でもいなかったはずだ。

もし、美しい人の写真を撮ってこいなんてミッションがあれば僕は迷わず世にいる母親という母親を撮りまくるだろう。

子供をもった母親はとにかく強いのだ。

強くないとダメだ。子供を食わせ、自分も食わなきゃならない。そして子供の存在が自分の中に芯をつくるのだろう。

強い母親はみな美しい。

残念ながら子供を授かれない人達もいる。ただ授かれない人はもっと美しくなれるかもしれない。自分で自分の中に芯をつくるチャンスがあるから。

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