2016年5月28日土曜日

I dont know why まとめ後半

VB


friend


friday


friday2


風に吹かれて


why not

たまたま、夜中にテレビをつけるとNHKでやっていた番組。ウクライナとロシアの対立をメディアのプロパガンダに焦点を当て、放送していた。

こういった扱いづらい題材を中立的立場から取材させると今のところNHKの右にでる放送局は日本には存在しないだろう。

プロパガンダとはウィキペディアによると本来、中立的な言葉らしいが、カトリック教会の宗教的なプロパガンダの影響で、プロパガンダという言葉自体が軽蔑的に扱われ、嘘、湾曲、情報操作、心理操作と同義と見られるようになったのだと言う。

戦争状態にある国は、プロパガンダが日常的に放送され、なかば当たり前になってしまう。

僕は極端な懐疑主義なので、メディアの言っていることを素直に信じることはまずないが、多くの人は影響を受けてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。

なんだかんだ言ってもテレビというあの小さい箱の力はそうとうなものがあって多くの人を洗脳してしまうことぐらい簡単にできてしまう恐ろしい箱なのだ。

人はメリット(利益)で動くと「危ない経済学」という本に書かれていた。その売れた本にはそのことからいろいろな歪んだ世の中をうつしだしている。例えば少し前に問題になった大相撲の八百長問題は、この本がはじめに予言していた。

7勝7敗の力士と10勝4敗の力士が千秋楽で対決した時のどちらが勝つか?という勝率は本来それぞれ50%に限りなく近づく筈なのに、7勝7敗の力士の勝率が50%を大幅に上回っていたデータから八百長を見抜いていたのだ。

実際、八百長はあって、大きなニュースになりこの本の作者はインタビューで「何も驚きはしないよ、数字が答えを出していたからね」とサクッと答えている。

嘘つきは泥棒のはじまりなんて言葉があるが、嘘をつくという行為にはそれなりにリスクが伴うので、そのリスクを越えるメリット(利益)がないとなかなか割りにあわないし、もしメリットなしに嘘をつくならそれは虚言癖で病気である。

よってこの作者が書いた「人はメリットで動く」という言葉は僕のような懐疑主義者には名言中の名言であり、わかりづらい現代社会をよく見えるようにしてくれる望遠鏡のような言葉なのだ。

嘘と言えば今年のはじめから文春砲が炸裂しまくった。ベッキー、甘利さん、ショーンKと今となっては少し懐かしい感じすらする話題だ。

共通項は「嘘」である。

今、世の中にはこの「嘘」が溢れ、この「嘘」を暴くことでお金につながる文春にとっては嬉しい流れだろう。

「人はメリットで動く」という言葉から考えても「嘘」の裏には必ずと言っていいぐらいに「メリット」が潜んでいる。

このメリットを少しだけ考えればおのずと嘘かどうか見えてくるのだ。

いつの世も人は弱い生き物で、なかなか現実を受け入れられない生き物です。けど1度受け入れられたらそんなに沢山の嘘をつかなくても楽に生きていけるような気がするのですが、なかなかどうして現実を受け入れるのは簡単なことではないようですな。

僕のように自分はダメ人間だ、クズだと真から認識すると嘘をつく理由がなくなってくるのですが、それはそれではたからみると「可哀想な人」になるのでしょうが、僕から見れば嘘を沢山つかなきゃならない生活をされている方のほうが「可哀想な人」に見えるんですよね。

メッキが剥がれるなんて言いますが、やはり「嘘」ってのは基本的に「弱い」。

「弱さ」と「脆さ」がつきまとうんですよ。堂々としてられない。

こう考えると「人はメリットで動く」という言葉の「メリット」ってなんなんでしょう。このそもそも論で人にとって自分にとって「メリット」とは何か?という追求がないとどうも「嘘」に流れてしまう気がするんですよね。

まあ、こんなこと書いてる自分だって嘘はついているだろうけど、嘘ってなんなんすかね、メリットってなんなんすかね?その辺ちょっとまた考えてみたいです。

それではまた。

2016年5月22日日曜日

スロット好き

久しぶりに書きます。なんか最近スロットの調子が良すぎて怖い。

あまりblogを更新してない=スロット忙しいと思って頂いて構わないと思います。

先日、彼女の実家に招待されまして親戚一同とバーベキューをしてきました。バーベキューは北海道人にすればほぼ日課に等しいので、まあ手が出てしまいます。はい、沢山焼かせて頂きました。肉はひっくり返す回数が多ければ多いほど旨くなるという謎理論を信じているので、手が熱かろうが焼かせて頂きました。

まあ、さすがの渡辺さんも緊張していたのでしょうか、実家にいる間はしっかりしていたようですが、バーベキューが終り彼女と娘らと帰る頃になると急に酔いがまわりだしたらしくべろんべろんなっていたようです(久しぶりに記憶とぶ)

気が付けば自分の部屋じゃなく彼女の家のベットで起きました。聞けばべろんべろんになってトイレではガチャガチャ音がして、ベットに戻れば窓の淵に頭を強打していたようで、しかも子供らに小遣いまであげていたようです。記憶がないなか子供らに小遣いをあげていた自分に対しては自分を誉めてあげたいと思います。

まあ、夜中に目覚めてしまいタクシーで帰ることにしました。コンビニで水を買い、後ウコン(あとウコンと読みますw)基本的には前ウコン派なのですが、結果として前ウコンからの後ウコンでサンドする形になりました。

此花から池田をタクシーで行くと意外に安く6000円でした。予想では一万を覚悟していたのです。

タクシーのうんちゃんとスロットの話で盛り上がり、勝ちかた的な講義をさせて頂いたのですが、かなり感動してもらい、最後降りるときに「いやあ、ええ話し聞かせてもろうたわ、これ少ないけどもらって」と1000円貰いましたw

どういう話しかと言うとスロットの話しです。まあ、今全国にあるホールで絶対にある台が二つあります。ひとつはパチンコで海物語、もうひとつはスロット、ジャグラーでございます。ちなみに僕はジャグラーばかり打っていますので、そりゃあオカルトも含めいろんな角度から語れるわけです。勉強代もかなり払いましたし、強依存すぎて離婚までしてます。はい簡単に言えばダメ人間であります。一時は辞めようかと思ったのですがタバコと一緒でなかなか辞められるもんじゃないですな。

そこでダメならダメでいいじゃないとなかば開き直りでとことん研究してみようと思ったわけです。

ジャグラーという台は属にノーマルタイプと言われ、連チャンを強烈にした激しいタイプと違い、純粋な抽選を毎回する極めシンプルな台であります。しかし、シンプルなだけに奥が深いのであります。

過去の苦い経験からいろいろ反省しまして、たどり着いた結論が「その日の負けを認める力」です。

これはもしかすとギャンブルに限らずかもしれませが、毎回毎回調子がいいわけではない。どちらかと言えば調子が出ないのが普通なんです。野球のピッチャーでもよく言うじゃないですか、調子が悪くても上手く抑えるのがエースなんて。まさにそれです。

長い人生でもそうで7割りから9割りは負けなんです。その負けを認める力が大事なんだと思うんすよね。ダメダメ時期はまあ、とにかく負けを認めれないんです。いや勝てるいやこんな筈じゃないとかね、まだ金があれば勝てるとか。もうここまできたら病気です。

んなわけないのであります。まずスロットで飯を食ってる人の収支報告をいろいろ読みました。まあ、それで飯を食ってる人達なのでさすがなんですが、ダメな時期の僕と何が違っていたかと言うと、負けた日の金額の少なさです。

とにかく小さい金額になっている。想像すればいろんなドラマがあったのだろうと思うのですが、勝っている時の収支報告よりこの負けた日の収支報告に意味があると思ったのです。だって勝つときって誰でも簡単に勝てる訳で、もっと言えばビギナーズラックで素人まで勝てる。そんなとこに注目しても意味ないでしょ。プロは調子が悪い時どうしのいでいるかのほうが大事。

ピッチャーもそうでその日調子がいいか悪いかの判断って大事っすね。客観的な視点、もしくはとことん懐疑主義になる。

その日負けた金額が少なければ次の日には取り返せるチャンスが広がるのです。

ダメなパターンはその日負けた金額がデカすぎて1日では取り返せず、仮に次の日勝っていても昨日の負け金額が頭から離れないのでそのままズルズル打ち込んでしまい結局スッカラカンになる。最悪であります。

基本的に心理戦なわけで辞められない人間を食い物にしてる商売なんです。じゃあ、辞めればいいんです。いや、スロット自体を辞めるんじゃなくて勝っている時、出た後に辞めるってこと。

なかなかできないから負けちゃう人が多いのですが慣れると簡単です。とくにジャグラーの場合はスペックがそもそも低いので期待値がないんす。だから辞め安い台なんです。勿論、いい台を掴んだら離さずに打ち込みますよ。どこまで伸ばせるか。サッカーでもオフェンスは固いディフェンスによって支えられているのです。

スロットで言うディフェンスは「その日の負けを認める力」です。今日は調子が悪い(いい台をつかめなかった)時は負け金額を究極に小さくして帰るのです。スロットは逃げないのでまた次の日の勝負にかければいいのです。

できるだけ多くの人に分かりやすい精神論的な話だけ書きましたが、実際はかなり具体的な数字やホールの設定士との駆け引き、ジャグラー各設定別スランプグラフのパターン、稼働状況、イベント、換金率、スロット業界全体の流れ、などあらゆる要素から考えながら打っております。ようやく結果が伴ってきましたのでちょっと調子に乗って書いてみました。

ふーようやく北海道に帰れそうです(3日間の凱旋)

とダメ人間ブログでした。でわでわ

2016年5月5日木曜日

僕が思う美人

美人と書いてあるとみな勝手に自分の中の美人を想像する。

僕の大好きな岡本太郎さんの講演がyou tube にあったので聞いたら、「美しいと綺麗は違う」と言っていた箇所がある。まったくもってその通りだ。

綺麗な人ってのはその時代にあったモテル人だ。実につまらない。なんの魅力も僕は感じないのだ。勿論、顔で判断するなと言われたらその通りだ。しかし、モテル人は中々みずからの内側を深く掘り下げるような状態になりづらい。ようは周りがほっとかないからだ。だからつまらない人確率が高いのである。

だから綺麗な人をみんなで綺麗だ綺麗だと言ってそれを商売にしている世界があったりそれを支えている多くの一般ピーポーもなんとなくアホらしくみえる。

だって室町時代の綺麗な人は今の綺麗な人にはならんでしょ。

相対的な綺麗とか格好いいってしょーもないよな。そんなことに気をとられて大事な人生の時間をロスしたり、悩んだり病んだりってホンマにアホらしい。

綺麗になりたいとか思う気持ちまでは否定しないが、本当の美人とはなんなのかぐらいは自分の中で捉えて欲しいとは思うのだ。

アメリカでは十代の女の子が「am I ugly ?」(私ってキモイ?)というタイトルでyou tube にアップしてるらしく、かなりの人数がそうしてるみたいだ。

学校で男の子に言われたとか、自分の顔に自信がない女の子や、逆に自信がある人があえてのせたりと様々だが、なんだかなあと思う。

だから綺麗になりたいって人に綺麗の奴隷になって欲しくないのだ。綺麗ってのはつまらないのだ。

僕の中の美人とは美しい人ってのはいろんな条件がある。まず強い人。自分の中に基準やルールがしっかりある人。自分に自信がある人(顔面にじゃなくてな)。

堂々と生きている人は美しい。

堂々としてる富士山を美しいと思わない人はいつの時代でもいなかったはずだ。

もし、美しい人の写真を撮ってこいなんてミッションがあれば僕は迷わず世にいる母親という母親を撮りまくるだろう。

子供をもった母親はとにかく強いのだ。

強くないとダメだ。子供を食わせ、自分も食わなきゃならない。そして子供の存在が自分の中に芯をつくるのだろう。

強い母親はみな美しい。

残念ながら子供を授かれない人達もいる。ただ授かれない人はもっと美しくなれるかもしれない。自分で自分の中に芯をつくるチャンスがあるから。