2015年6月13日土曜日

「自分は正しい」という考え

誰しもが無意識に自分は正しいと思ってしまう。

それ自体はそこまで悪いことでもないように感じるかもしれない。

しかし、どうだろうか。

「自分は正しい」ということは「他の誰かが間違っている」という意味でもある。

正しいの部分を「善」に置き換えても同じような文章はなりたつ。

「自分が善」ということは「他の誰かが悪」ということ。

最近、ニーチェにハマッている。彼が生きていてtwitterをしていたらどれだけのフォロワー数になっていたのか?気になるところだが、多分本人は気にしないだろうね。

そのニーチェの言葉

"一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、いつも間違っているということを知っている"

ファーーーーー。カッコよすぎる(笑)

これに近いような言葉は仏教なんかでもよく出てくるのだが、宗教や哲学をそのままに伝えるのは書くほうも読むほうも辛い(笑)

なので、下世話なとこまで降ろしてみようと思う。

今では少し落ち着いた感じすらあるイスラム国のニュースなんかもこの視点で考えると合点がいく。

なぜあんなに酷いことができるのか?イスラム教とはそんな野蛮な教えなのか?と思ってしまう人も少なくない。

実際にはそんな教えはないのだが、ここで出てくるのは「自分は正しい」「自分は善」それが集まって「我々は正しい」「我々は善」だという考えが蓄積されていくとあーなるという典型的事例である。

強すぎる正義感は時に悪人よりたちが悪い。悪人は少なくとも悪いことをしている自覚はあるのだが、我々は正しいとする団体にはなんの自覚もないのだ。

最終的に全てを正しい行いだとする考えや行動がどれだけ危ういことかをイスラム国は分かりやすく我々に教えてくれているとしか解釈しようがない。

もっと下世話に降ろして夫婦や彼氏彼女の関係においても同じような事が言える。

旦那や彼氏の愚痴を言っている人は「自分は正しい」という状態だ。「自分は間違っているかもしれない」等という余白や可能性は一切無視してくる。常に相手が悪い状態でないと精神の安定を保つことができないのであろう。だから必要以上に相手を悪人扱いする。

そもそも選んだのはあなた自身の判断にも関わらず「自分が正しい」という考えから逸脱できないでいると自然にそのような状態になる。

これは結果的に自分も相手も不幸にする。きっかけはたったひとつ「自分は正しい」からだ。

大きく捉えれば、正しいとか正しくないとかそんなものはないのだが、どうしても囚われてしまうこの「自分正しい」

当たり前と言えば当たり前、そう思わないと怖くて歩くこともできなくなる。

重度の鬱病の人は何も信用できなくなり、最終的に一歩も足が動かなくなるそうだ。一歩足を動かすと死ぬかもしれないという恐怖に襲われるらしい。なんと恐ろしい病気だろうか、しかし現実には沢山いてひとつの社会問題にもなっている。

何も自己を否定して生きよとは言わないが、自分一人で生きているようでそうではない事実にも少し考えてみようか?ということである。

「自分は正しい」の裏には「自分一人で生きてきた」とか「自分が自分が」が常に付きまとう。全てが悪いことではないが、強すぎると上記のような状態になりやすく、最終的に誰も幸せにならないのだ。

どんなにもがいても人間は間違いをするしそういうものだということを忘れずにいきたいところだ。

そしてその間違い自体は悪ではなく、間違えるからこそ人間と呼べるのではないかと思う。

あなたが生まれてきた場所や家庭はあなたの意志ではないのだ、だからあなたの意志ではない何かの上を生きているのに「自分は正しい」と強く思ったところで、はたからみれば滑稽なのだ。

養老先生の本にも冒頭に「私が言っていることが正しいなんて思ってもらっては困りますよ」と書いてある。

いろんな作用やいろんな法則の上を生きている人間、それが当たり前になるとそのことに見向きもしなくなり忘れてしまう、さらに「自分が正しい」なんて思ってしまう人間。自分をよく見つめている人は自分の弱さもダメな部分もよく見えているものだ。

全ての争いの元は「自分は正しい」の積み重ねによるもの、その辺りを注意していかないと個人の集まりである国家もおかしな方向に行ってしまうのではないかと思う。

ニーチェいいよ♪んじゃ

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